神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

(9) -矢来町の思い出-

macky-jun2008-10-12

  今日も風邪の具合は思わしくなく、ジムに行くのも止め、一日家に籠っていた。二週間もジムに行けず、体の筋肉が落ち、緩んできたようだ。ずっと週二回ペースで通っていたのに、また体を元に戻すのに時間がかかりそうである。
 昨日は、Yクリニックに行った折に、久々に矢来町を歩きました。かつて住んでいた銀行の寮があるところで、静かな雨の街をしっとりと歩きました。昔よく行った神楽坂駅の書店Booksミヤが文鳥堂書店に変わり、以前探していて、すっかり忘れていた「新宿文化絵図」を発見しました。新宿区の地域ごとに9つに分け、江戸・明治・現代と重ね地図となっている優れものです。新宿街歩きガイド(222ページ)が付いていて、なんと1,260円です。要は新宿区が出版しているものなので、とても安いのです。川本三郎泉麻人ら街歩きの達人たちのエッセイも盛り沢山です。なんだか、とても得をした気分でした。それとご近所の斎藤さんが編集している「Lapita」を買いました。僕の好きなオーディオでMcIntoshやデジカメの特集をやっていました。McIntoshの携帯ストラップが付録(懐かしい言葉でしょう)で付いていました。
 矢来の街並みも住んでいた9年前とは少しずつ変わっており、酒を配達して貰っていたコミュニティストアの泉屋が無くなり、耳鼻咽喉科に。あの親子はどうしたのだろう。隣のステーキハウスKentos2も閉店しました。小さな書店文鳥堂が無くなり、小粋なイタリアンレストランに。寮の前にあった旺文社だった2棟のモダンな建物はAdidas Japanの本社となりました。AdidasはいまやTaylor MadeやReebokも傘下で持っており、それぞれのブランドを掲げていました。時代の盛衰を感じさせます。矢来町全体が江戸時代は若狭小浜藩の酒井家下屋敷だったところですが、明治時代にはうんと縮小し、華族・酒井邸として残っていました。この時代はとんでもない豪邸に住んでいる人がいたのですね。それを戦後だと思いますが、銀行の寮として買い取りました。寮内は適度な起伏と緑(大きな銀杏や桜の木があった)と昔の庭園だったところの名残りが若干残っていました。東京ドームの1.5倍と云われる敷地に10棟の社宅がゆったりと建っていました。出窓もあり、当時はまだ新しかったこともあり、デラックス過ぎると、日本の金融危機の際に公的資金を入れた折には、マスコミには随分と叩かれてしまいました。だけど、内装は社宅らしく安普請で、質素なものでした。広い空間は子供が小さい頃には遊び場としては最適だったようです。
 またまた病人なのに、その足で中町図書館に行ってきました。そこでLuckyをしました。以前3/2のブログに「江戸城の抜け穴伝説」として書いたこともありますが、古泉弘著「江戸の穴」という1990年に書かれた本をリサイクル本という形で無料でGetできたのです。この手の東京・江戸に関する地理歴史のちょっと変わった話をライフワークにして、勉強していきたいと思っているので、収集図書の一つになりそうなものです。他にも、図書館で借りた本の中で面白そうだったのが、一川誠著「大人の時間はなぜ短いのか」(集英社新書)石井正巳著「桃太郎はニートだった!」(講談社+alpha新書)です。体の具合は悪かったけど、T先生にも暫くぶりにお会いできて、談笑したし、本にも恵まれた。ジムには行けなくとも、本をしこたま仕込んだので、連休は専ら自宅で養生しながら本でも読んで、ブログを書いて、いつもの週末とあまり変わらないかもしれないけど、あっという間に終わりそうです。