神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

シューマンとシューベルトの夕べ

macky-jun2008-07-30

 昨日はなかなか充実していた一日だった。流石に「めざましTV」の占いで第1位だったふたご座だけのことはある。夕方4時から、ある会社のデモンストレーションを含めたプレゼンを受けることになっていた。実はかみさんとこの日は7時開演の新宿文化センターで行われるコンサートに行くことになっていたらしい。てっきり忘れており、夕方のミーティングを入れてしまっていた。前の晩に言われて、はっと思いだし、翌朝また(仕事のことで頭はいっぱいになっていたので)忘れており、という次第だった。長引くとやばいぞという感じだった。
 幸い、夕方の会議はスムーズに流れ、5:30PMには会社を出ることができた。大江戸線東新宿駅なので、途中自宅があるので、寄って、カジュアルに着替えて、おにぎりと味噌汁を食べ、かみさんと二人で出かけた。その位、余裕が出来てしまった。ヨーロッパではオペラやコンサートに行く時はいったん家に帰って、ドレスアップして出かけるというのが、大人の世界の楽しみ方だと聞いていた。この日はけっしてドレスアップしたわけではないけれど(ドレスアップしたくてもそんな衣装は持ち合わせていないのだ)、都心に住んでる良さを味わえたのでした。
 演目はシューマンのピアノ協奏曲イ短調作品54、とシューベルト交響曲第8番ハ長調D944「グレイト」であり、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団で、指揮は高関健氏、ピアノが野原みどりさんだった。なんでも新宿文化センターがリニューアルしたのを記念して、NHK主催で開いたコンサートで、かみさんはそれに応募し、2席当選したらしい。
 開演前に指揮者の高関さんから、演目の解説があった。シューマン(1810-56)はシューベルト(1797-1828)の大ファンであったらしい。だけど、生前二人は会ったことがなく、シューマンは特にシューベルトの「冬の旅」に人生を揺さぶられるほど感動していたが、その時はシューベルトは既に亡くなっていました。シューマンは諦めず、遺族に会いに行き、遺品の中から交響曲第8番「グレイト」の自筆スコアを発見する(1939/1)。大感激したシューマンは直ちに名指揮者で作曲家としても有名なメンデルスゾーン(1809-47)のところへ楽譜を届け、これがメンデルスゾーン指揮で世界初演されることとなった。シューベルトの作曲→シューマンが発見→メンデルスゾーン指揮という黄金のパスリレーが為された歴史の一コマでした。
 シューマンのPコン(音大出身者はピアノ協奏曲をそう呼ぶらしい)は一見地味な印象ですが、派手な技巧を嫌うシューマンらしい、情感たっぷりな精緻な名曲という感じでした。だけど、私は途中不覚にも夏の疲れか、3度ほどフーッと気を失ってしまいました。とても気持ち良かったです。
 シューベルトの「グレイト」は彼らしくなく、派手な元気な曲でした。これはCDを持っていたので、何度も聴いていましたが、どうしても「未完成交響曲」と「冬の旅」のイメージが強く、らしくなく聴こえてしまいます。この交響曲はかつて死の数ヶ月前に作曲されたと言われてきて、「死の影」を見ようとされてきたようですが、今日の五線紙の資料研究から、もっと若い28歳の時に書かれたことがわかったそうです。死の影どころか、若々しい喜びに満ちた作品のようです。
 仕事をさっと切り上げて、自宅にいったん帰り、地元のホールでコンサートを楽しむ、という今日はまさに西洋人のライフスタイルのような一日を送ることができました。だけど、コンサートが終わった9時に会場を出ようとしたら、強い雨が降っており、予報にはまったく無かったことから、傘も持たずで、30分程雨宿りをすることとなりました。お天道さまは全てはうまく行かせてくれないようです。