神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

永ちゃん、やっぱりあんたはビッグだぜ!

macky-jun2008-06-23

  昨日の朝日新聞日曜日求人欄の特集で「矢沢永吉が語る仕事」が面白かったのでご紹介したい。矢沢は皆さん、よく知っておられるロックミュージシャンであるが、1972年ツッパリのロックンロールバンド「キャロル」のリーダーとしてデビュー。75年解散の後に、ソロデビューし、以降、爆発的な人気で活躍したミュージシャンだが、今でもその強い個性を売りにしたTVコマーシャルで日々馴染みのある59歳だ。
 ミュージシャンとして順風満帆な人生を送ってきたような彼が、人知れぬ、大きな挫折を経験していた。1987年オーストラリアのゴールドコーストに強く惹かれた彼はそこでビジネスを始めるが、信頼していた部下2人に裏切られ、詐欺にあう。被害総額、なんと30億円以上でその借金をすべて一人で負うことになった。借金の大きさもさることながら、仲間に裏切られたショックがもの凄く大きく、気持ちはボロボロで、もう立ち直れないほど打ちのめされた。連日、酒を飲み、もう駄目だ、もう駄目だと落ち込み続けていた。これで矢沢も終わりだと思ったという。
 1週間経って、あほらしくなってきて、ある日ふと気づいた。これは映画だと思えばいいやって。人間は何度でも生まれ変わる(リーインカーネーション)じゃないか。このたび僕は矢沢永吉になったわけで、室町時代にも江戸時代でも何かやっていて、さあ昭和20年代。今度は、お前は矢沢永吉をやりなさいとこの世に送り出されてきた。「生活保護受けて、苦労して広島から夜汽車に乗って上京し、やがて世紀のロックンローラーになる役さ」ってね。「でも途中でオーストラリア事件とか、苦労もするけど、まあ人生を楽しんでこいや」
 あんまり苦しかったから、バーンとそんな考えが浮かんだのではないかと述懐しているが、矢沢なら返せない金額じゃないよとの周囲の応援もあり、ライブをやって、やって、やって、ある日借金はゼロになっていた、という。今から思えば、あの頃のE.YAZAWAの激しいパッションはそこからきていた。
 スーパースター矢沢永吉だからこそ成せる話と、考えてしまうとつまらないが、ことの大小はあれ、苦しい境遇にある自分をこれはある映画の役柄であると、客観化して見ることはできる。自分がいま苦しい境遇にいるのは自分の身から出た綻びであるかもしれない。だけど、そんな人生を送る自分を物語りの主人公として、楽しんでしまおう。その苦しい中で、何ができるか、役者としてかっこよく演じてみよう。視点を変えてみれば、気持ちも変わるし、余裕も持てるのではないだろうか。
 さだまさしの若い頃の作品で「主人公」という歌が好きだった。「自分の人生の中では誰もがみな主人公」という歌詞だった。苦しい出来事の渦中にいると、当然ながら余裕はないだろう。だけど、いつまでも悪いことばかりが続くわけでもない。どこかでほっとできる瞬間というのもあるはずだ。そのタイミングで自分を客観化してしまう、つまり役者にしてしまうのである。そうしてそのドラマティックな人生をどこまでハッピーエンドのストーリーに変えられるか、落差のあるドラマを演じてみるのは面白い。浮上できず、沈んだまま終わるかもしれない。だけど、波乱たっぷりな、他人が経験できない人生を送れたと死ぬ時に思えないだろうか。自分の人生の主人公はあくまで自分である。人生を苦しんで終えてしまうか、苦しいながらに楽しめるかは、単純に考え方の問題に過ぎないと思うのである。