神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

紫禁城写真展

macky-jun2008-05-19

   先日、恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館でやっている「紫禁城写真展」に行ってきました。会社帰りに寄り、閉館の8時ぎりぎりまで観ました。”百年の時を経て、今初めて明かされる中国皇宮最後の姿。宇宙の中心と信じられ、世俗から隔離された聖域であった「紫禁城」を明治の写真家、小川一真が撮影した清朝末期のオリジナル・プリントが今、百年前の真実を物語る”とあります。
 小川一真等は義和団事件鎮圧のために世界8カ国連合軍が入城した翌年の1901年、建築家伊東忠太の調査プロジェクトに加わり、秘密とされていた城内に足を踏み入れ、「紫禁城」の貴重な姿をガラス乾板を使い、撮影しました。清朝は1911年の辛亥革命まで続くから、その前のしかもラストエンペラーで有名な宣統帝溥儀が2003年に生まれる前のことだ。
 小川一真は1860生〜1929年没。明治日本写真界の牽引者で、お札になった夏目漱石小川一真の撮影。飯田町、日吉で写真館を経営し、板垣退助の三女と三回目の結婚をした、というのが人物沿革の記憶に残った部分です。
写真は鮮やかで美しい。百年の時間を経て、現代に蘇った様には見えない、いまあるかのように生き生きとしていたのが印象的だった。現代中国の写真家である候元超が小川とほぼ同じアングルで100年後の「故宮」をモノクローム撮影し、二枚の写真を対比させているのも面白い趣向だった。メンテナンスが最近の方がしっかり為されているからか、現在の紫禁城の方が綺麗である。古い写真からは映画「ラストエンペラー」の坂本龍一やデビッド・バーンの音楽が聴こえてきそうである。
 会場には当時の写真機が数台展示されており、興味深かった。アコーディオンのような大きな箱型から、次第に小型のカメラとなっていき、普及していく。カメラがごく限られたプロのものから、一般人のものになっていく過程。デジカメの普及で多くの女性ユーザーを開拓したように、機器の小型化・簡易化がプロのみの世界から普通の人の持ち物となっていったカメラ。
 大学時代に一眼レフカメラを20回の月賦払いで購入した。ニコンのFEであった。13万円以上もしたので学生の身の上からすればかなり高価な買い物だった。当時、ワンゲル部に所属していたので、当然ながら山岳写真に凝った。交換レンズやフィルターも何種類か購入し、いろいろと工夫して撮ってみた。オートフォーカスではなく、シャッタースピードと絞りに注意しながら、馬鹿チョンカメラとは差別化して、少しだけ得意になってみた。デジタルカメラが全盛となってから、誰しもが簡単に上手い写真が撮れるようになり、つまらなくなった。かつて上手な写真を撮るのはカメラ小僧の特権のようなものだった。最近は余程の特殊写真や商業写真でない限りはプロカメラマンの仕事も減ったと聞く。失業したカメラマンもいるという。
 この日は小生がブログを始めるきっかけを作ってくれた恩人のMさんと一緒に行ってきました。恵比寿餃子が名物という大豊記という店に連れて行って貰い、イベリコ豚とエビのプリプリの餃子を楽しみました。中国紫禁城なので、中華で紹興酒をボトルで温めて飲みました。小生ブログも前回「新・威守松山小屋に泊まる」の話で100話を迎えました。背中を押してくれたMさんはじめ、アクセスして来てくれる皆様に感謝です。