神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

嗚呼、棟田無念

macky-jun2008-04-29

 全日本柔道選手権を観に、武道館に行ってきた。ジムのトレーニングをサッと切り上げ、市ヶ谷から外堀公園を飯田橋まで歩き、大勝軒でボリュームのある太麺ラーメンを食べ、今度は九段下に向い、会場である武道館へ行った。チケットは既に完売であったということであったが、そこに居られた紳士が招待券をなんと譲ってくれた。
 好意に甘え、早速入場し、パンフレットを1,000円で購入。館内は殆ど満席であり、空いている席は見当たらず、暫く階段に座って観戦する。じき席も確保できた。試合開始は11:00であったが、小生が入場したのは13:00頃だった。二回戦に入っていた。井上、石井、棟田らの2回戦が無難に勝ち進み、3回戦を終了し、優勝候補の鈴木、井上、石井、棟田、高井は全て残る。2回戦で穴井が生田にあっさり負けるということがあったが、どちらも実力者、ありうべし。
 柔道ファンではあるけど、実は初めて観戦に行ったのだった。毎年、武道館でやっているのでもっと早くから行けばよかったのにと思う。会場には体格のいい現役の柔道学生や昔柔道をやっていたらしいオジサン、柔道少年少女、柔道ファンの少女がいっぱいいた。高校柔道部がバスに乗って指導者の先生と共に集団で来ている姿もたくさん散見された。
 やはり力が落ちているなと思われた井上康生が4回戦で高井に歯が立たなかった。その高井を無難に抑えた鈴木桂治が決勝に進む。反対の組が石井慧が危なげなく準決勝に進み、棟田は前半こそ生田に苦戦したが、最後は鮮やかに一本勝ちし、準決勝に進んだ。
 この石井と棟田の準決勝が正にこの大会のクライマックスだったように思う。会場の声援のボルテージは上がる。棟田に対する声援が多い気がしたのは、自分の贔屓心か。小生が今日、武道館に行ったのは半分は棟田康幸を応援しに行ったのが目的だった。決勝戦よりもこの勝負がまずは北京オリンピック代表に繋がるというのは二人は熟知したところ、大変な気合いのぶつかり合いだった。それ故にお互い大きな技は決まらず、判定の勝負に。両者指導の後に、棟田のみに注意があり、結局優勢勝ちで石井の勝利が決定。
 先日の体重別選手権での棟田の井上康生戦での敗北も指導のみの判定負けだった。棟田の試合は完全な負けでない、どこか不本意な負けというのが多い。しかも肝心なオリンピック最終選考に絡む大会で、そういったことがよくある。国際大会では自分よりも遥かに大きな相手にも負けないのに、と残念に思う。棟田の運の悪さ、ふがいなさを自分に重ね合わせるのかもしれない。何故か機会に恵まれない棟田康幸を他人事ではなく、応援してしまうのである。
 棟田の敗北で、小生のボルテージは下がったが、決勝は鈴木桂治石井慧の戦いに。3年連続で同じ顔合わせだ。一昨年は石井が最年少優勝し、去年は鈴木が雪辱し、世界王者の貫録を示した。石井としては代表となるにはどうしても優勝が必要だった。準優勝ではこれまでのところで評価の高い棟田が代表選出の可能性があった。準決勝は殆ど僅差の勝負だった。若い石井の気迫が凄かった。技ありを取った後の抑え込みで殆ど決まったと思ったが、何と28秒で鈴木が脱出。これは凄かった。鈴木は鼻血を流し、両鼻にティッシュペーパーを押し込んでいた。恥も外聞もない。すさまじい闘いだった。後半、守勢に回った石井が警告を受けたが、前半の技ありが効き、薄氷の勝利をおさめた。石井は若いけど試合巧者だ。決して、一本勝ちの綺麗な勝ち方に拘らない。相手の反則負けでもいい、判定勝ちを狙って行くクレバーさがある。特に、棟田や鈴木等のトップクラス相手ではそうした戦いをする。海外勢に対抗するには格好の選手と言えるかもしれない。
 石井慧がパンフレットの出場選手一覧の中の大会抱負で次のように語っている。「無心の境地です。あわてずいきます。荒々しくいきます。僕は負けません。僕は負けるはずがありません。」 他の選手は日本の柔道家らしく「頑張ります」とか「出場できることをうれしく思います」というような優等生的回答が多いのに、実にユニークである。サッカーの中田英寿を彷彿とさせるような率直さだと感激した。最初はビッグマウスかと思った。だけどこの3年間の実績で証明ができた。誰よりも練習をするらしい。その自信の裏付けの言葉なのだろうか。 
 北京オリンピック柔道100キロ超級の代表は順当に優勝者の石井慧に決定した。勝利の美学も大事だけど、「オリンピックに出てその後の自分の人生設計を豊かにしたい。僕にとっては、オリンピックは人生の転機になるわけですから。」と現実的な発言をする石井慧は新しいタイプの柔道家かもしれない。