神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

清水佑三さんに捧ぐ(その1)

macky-jun2008-04-11

 今日は会社の引っ越しで、専ら書類や持ち物の廃棄や梱包のみで終わった。朝、出勤すると既に周りに段ボール箱が積まれて、オフィスは騒然たる雰囲気であった。朝礼を行ない、社員全員で記念撮影を行っている真最中に、あの電話が入ったのだった。
 大変縁のある、お世話になった日本SHL社の社長清水佑三さんが昨日亡くなったとの悲報だった。監査役をされている友人Aさんからだった。とても驚き、ショックだった。何しろ清水社長はまだ64歳と若いし、実は先週の4月1日にお会いしたばかりだった。
 確かに、久し振りにお会いした清水社長は痩せてしまって、声が殆ど出ない状況であり、かつての精悍な、頭の回転速く、キレのある話をされる様子はまったく無かった。どうしてしまったのだろうと心配になり、翌日Aさんに電話をしていた程だった。久し振りの再会も悲しさを引きずってしまった面談だった。
 先月の日経新聞コラム春秋で清水さんの名前が出てきて、同じ頃、週刊現代でも清水さんの写真入りの記事を拝見した。「上司のモヤモヤ」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062145472/という本が最近出版されて、それが話題となっていたからだが、お元気にご活躍されているなとてっきり思い込んでいた。
 記事を読んで、清水さんに「近々どこかで一献傾けませんか」とメールを打った。暫くして秘書のIさんから電話があり、是非お会いしたいが、最近は酒を控えておられるとの事だったので、日中お会いすることにしたのだった。新中野の本社を訪ねて行った。近況を聞かれ、相変わらず本業はキャピタリスト一本で、この先もずっとやっていくことにしたこと。去年、自分の中で大きな変化があってinputからoutputへの転換を進めたこと。outputの話すこととして大学院で講義をするようになったこと、書くこととしてブログを始めたこと、を話した。
 どうしたら、清水さんのような面白いエッセイが書けるのかと聞いてみた。最近の著作はHPでのコラムをまとめたもので、今はまったく浮かばないと寂しいことを言われていた。それでも、独自の視点でわかりやすく説明すること、オチがあること、柔らかい表現で核心をつけるか、ということを言われた。清水さんは「組織における上下関係論」が一貫したテーマで、企業人でないのでアウトローの視点で言いたいことを言ったこと、志生の落語とか、笑いの研究をされたとも教えてくれた。 
 逆に、「名文を書くには何と考えるか」と禅問答のように聞き返された。とっさに「経験や考察に裏付けられた内容のあること、中身さえあれば文章は多少下手でも、相手の心を打つ文章になる」とお答えした。また、「難しいことを易しく言うことを心がけている。世の中、専門用語を使って、難しくモノをいう人は多い。カミさんや同級生の女性で経済・経営に縁のない人にも分かりやすい説明ができるかを考えている」とお話した。
 自分の中に既に解答はあるのかもしれない。往年のキレはないけど、さすがに清水さんは核心はついているし、名コーチングだ。永年、企業の人事問題をコンサルティングをされてきた第一人者だ。
 (清水さんの急逝にあたり、たくさんの思いがあり、とてもまとまらないので続きをまた書きたいと思います。)
 写真は清水さんが社長をされていた日本SHL株式会社の本社(新中野)です。
清水佑三さんから生前受けた数々の恩義に感謝しつつ、故人の冥福をお祈りしたいと思います。