神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

慎太郎 見苦しいぞ

macky-jun2008-03-15

  都が84%も出資してできた新銀行東京が問題になっている。杜撰な融資を行ない、貸し倒れが多数発生し、国内基準の自己資本比率4%をキープする為には更に400億円の追加出資が必要とのことで、都議会でもめている。仮に破綻処理をしても(算出根拠はあいまいだが)1,000億円の追加資金負担が必要となるとのこと。601億円が焦げ付く見込みであり、融資残高2,218億円の内、中小企業向けが1,300億円なので、焦げ付きの大半は中小向けとすれば、な、なんと半分近くが不良債権となる。それにしても設立の趣旨から大きく逸脱する大企業向け融資が何でこんなに多いのだろうね。次から次に新事実が出てくる度に驚かされる。
 そもそも”石原銀行”とも呼ばれるほど、石原慎太郎都知事が選挙公約に掲げ、中小企業対策として肝入りで05/4に設立された銀行である。銀行の貸し渋り貸しはがしが激しかった頃に構想し、中小零細企業の味方として登場し、無担保無保証での融資を目玉として行ない、金利は高く、都銀の倍くらいとる、ミドルリスク・ミドルリターンのビジネスモデルである。実は、これまで日本の金融界での金利体系は歪な構造となっており、大企業から中堅企業までプライムに近い低金利で借りられる一方で、信用力のない人々がサラ金から借りる超高利の貸出まで、両極端の金貸し業がある反面、その中間のリスクに見合った人々に貸し出すミドルリスク・ミドルリターンの金融ビジネスが無かった。そこに目を付けたのが、新銀行東京であり、木村某が創った日本振興銀行も同じ発想のもとに創られた銀行だと思う。発想としては悪くないゾーンを狙ったビジネスだと思っていた。
 しかし、無担保融資ほど難しいものはなく、貸出企業に対する目利き能力が要求される。審査眼というやつだ。同行の初代のトップには元トヨタ自動車出身で当時トーメンの副社長だった仁司泰正が就任したが、何故金融の世界以外から呼んだのかまったくの疑問だった。金融の世界というのは極めてプロフェッショナルな世界なので、まったくの未経験者に務まるのか大いに疑問だった。当時、石原はというか東京都は外形標準課税というめちゃくちゃな理屈を振りかざし、大手銀行と喧嘩状態にあった(都は各行と訴訟となり、全面的に敗訴した)。それが金融界からトップを呼べなかった理由ではなかろうか。
 いずれにしろ、この仁司という男は案の定ひどかったらしく、案件判断も金融マンの審査手法には依らず、機械的にわずか3日間で審査するというのを売り物にさせた。金融マンの職人技というものに強くアレルギーを示し、行内ではそうした言葉が禁句となっていたらしい。本人の金融に対する知識経験不足がトラウマになっていたのだろう。この銀行がスタートを切る05/4には貸し渋りも鎮まっていて、計画どおりに融資残高、取引社数は積み上がらなかった。計画未達の焦りから杜撰にどんどん貸しまくったようだ。普通なら借入できなかったサブプライム層企業に貸しまくった。どこかの国で起きたことと同じであり、まったく呆れるばかりだ。
 金を借りて計画的に倒産する所謂「倒産屋」にも多数ひっかかったと言われている。闇企業にも資金が回ったという噂もある。まさに彼らからすれば”カモ”だった訳だ。
 金融というのは預金者の大事な資金を預かり、運用・貸出しを行なう立場にある。プロとして、相手先企業のビジネスを理解し、経営者の力量・人格を判断し、借りた金をちゃんと返す奴かどうかを見て、慎重に行なうものである。極めて、目利きというプロフェッショナルな技が要求される仕事なのだ。金融に携わってきた者としてそうしたプライドは強く持っている。それ故に新銀行東京の仕振りは許せないのである。
 今回、400億円の追加出資をしたところでおそらく再生は難しかろう。破綻処理にどれだけの資金がいるかわからない。しかし、最早この銀行のレーゾンデートルは失われているわけで、金融庁の資産査定をしっかりと行ない(まだ1度も受けていないのは驚きだったが)、責任を明確化し、清算処理を行なうべきやと思う。その際には、取引先企業が巻き込まれ、連鎖倒産とならないような仕組み作りが必要となろう。
 たぶん、ビジネスとしての発想は良かったのだろう。だけど、タイミングが悪かったのと無担保融資という難しいビジネスに挑戦するにはトップに金融の素人を据えてしまったり、ちぐはぐだった。都が十分監督していかなかったところにも問題があった。所詮、金融素人の役人にはよくわからなかったのだろう。都が圧倒的メジャーな株主として、もしくは知事が取締役の一員として監督責任を果たさず、的外れなトップを据えてしまった石原都知事任命責任が問題となろう。
 それにしても、石原都知事と津島現代表執行役が発言する「前の経営陣に全責任があって、都や自分達には一切責任がない」とする態度は非常に見苦しい。でかいことを偉そうに語る、いつもの大物然とした姿が、都合が悪いと他人に責任転嫁して逃げ回る、姑息な人間としか映らない。品格というものは微塵も感じられない。潔くないぞ、慎太郎!