神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

YMO、Kylynの日々

macky-jun2008-03-05

 日経新聞夕刊の人間発見に載った坂本龍一の記事を読みながら、触発されレコード「Kylyn」を聴きながら、これを書いている。「Kylyn」は渡辺香津美の79年のアルバム、坂本龍一東京芸大大学院を卒業後3年でプロデュースをした。彼は大学3年の時に結婚し子供もいたから、生活の為に早くからライブやレコーディング活動でアルバイトしながら、徐々に頭角を現した。78年にはあの「YMO」を細野晴臣高橋幸宏と結成し、渡辺香津美のkylyn氏らと共にワールドツアーを決行。世界にジャパニーズ・テクノ・ポップの存在を示した。私の大学生時代と正に符合し、彼らの音楽活動は私にとっても青春の1ページである。ちなみに坂本龍一氏は私の高校の先輩である。
 「東風」「ライディーン」「テクノポリス」・・・。その音楽は今までの音楽ジャンルにはないものだった。我々は夢中になり、当時彼らの音楽ばかりかファッション、生活のスタイリングまでも真似た。モミあげをカットした俗にテクノカットなるものが流行ったのもあの時代で、まさに彼らが火付け役だった。当時、同じジャンルでGerman Techno PopのKlaft Werkの「ヨーロッパ超特急(TEE)」や「Auto Bahn」、「Computer World」にも嵌まった。一見、無味乾燥な音楽が小気味よかった。
 大学3年の頃、大学のK講堂に渡辺香津美の率いる香津美バンドがやってきたことがあった。なんと、その前座が当時は既にフュージョン界では著名だったカシオペアであったのも驚きだ。6:00頃開演して、延々10:00を過ぎても、のりのりに乗りまくった香津美氏は止める様子を見せなかった。最高のライブだった。今でもあの日の興奮を記憶している。そう言えば、香津美氏は我が大学には大変付き合いがよく、1年の頃にはあの渡辺貞夫氏と、2年の頃はVocalの大野えりさんのコンサートでもギタリストとしてと、毎年のように来てくれた。
 その後も、坂本氏は俳優活動もしたり、音楽活動でも僕の好きな映画「Last Emperor」や「戦場のメリークリスマス」の作曲をされたり、大活躍だ。香津美氏もクラッシックギターであったり、エレクトリックギターの世界であったり、ギター一筋の世界で活躍している。一度、神楽坂上の交差点でお見かけしたことがあったが、小柄でちょっとふっくらとされた姿が印象的だった。共に音楽を軸に活動され、そのスタイルは時代と共に、また個人のスタイルも変化をしてきたが、一貫してぶれない超一級のプロフェッショナルな姿はロールモデルとして参考になる。というかとても真似できない。それにしても、「Kylyn」いま聴いてもなんで、こんなに、かっこいいの〜!若い人たちにはわかるかな?