神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

陽水ライブ もどり道

macky-jun2008-02-27

 久しぶりに陽水を聴いた。アナログレコードで「陽水ライブ もどり道」だ。彼としてはおそらく3枚目のアルバムであると思う。レコードにはライブにもかかわらず何時のコンサートかクレジットがなく、ただ・於 4月14日 厚生年金小ホール実況録音とあるのみである。後で調べたが、1973年らしい。「夏まつり」に始まり、「いつのまにか少女は」「紙飛行機」「あかずの踏切り」と続き、20代の頃の陽水のシャイなしゃべりが入り、「人生が二度あれば」でクライマックスを迎える。A面は陽水のギターとハーモニカのみで単独の演奏だ。この後も名曲ぞろいで「感謝知らずの女」「東へ西へ」「傘がない」「夢の中へ」と続く。
 あの時代はシンガー・ソング・ライターというのが全盛で、一人で何役もこなすのがフォークシンガーの世界では当たり前だった。当時、僕は中学生だったけど、友達はフォークギターをかき鳴らして自作の詩と曲を作り、真似したものだった。いつの頃からか分業するのが当たり前になってしまった。今ではフォークソングというミュージックジャンルはどこに行ってしまったのだろう。
 陽水の「人生が二度あれば」を聴いていると、両親に対する深い愛情を感じる。子供としては半ば迷惑な親の重い期待を受け、医学の世界に進むべく医大を目指したけど、結局、3度受からなくて諦め、ミュージシャンに転向した。しかもデビューした時はアンドレ・カンドレというヘンテコな芸名だった。親の期待には背き、自分の好きな世界を選んだ。だからこそ、今の井上陽水がいる。
 実はこのレコードは親父が買ってきたものだ。僕が中学生の頃、FM放送を聴いた親父が「井上陽水という凄い奴がいる」ということを言っていたことがあった。僕は名前から受ける印象から「う〜ん、井上陽水?全然聞いたことねえな。(古くさい名前から)東海林太郎のようなもんか!」と当時Beatlesに夢中になっていた僕は、あっさり切り捨てた。ほどなく、親父が会社帰りに買ってきたのがこの「陽水ライブ もどり道」だ。今では先見の明に脱帽するばかりだが、決してトレンドを追いかけるタイプでもなかったし、お洒落とか粋という世界からも程遠かったので、何故だろうと思うばかりだ。だけど、時たま気まぐれのようにこういうことがあった。ピザを初めて食べようと言い出したのも親父だった。その頃、僕らの食卓にピザという単語は全くなかった。ひょっとしたら、キャピタリストに通じる部分が親父にはあったのかもしれない。
 井上陽水の娘がレコード会社のオーディションを秘密に受けたという話をだいぶ前にネットで読んだ。しかも、親の名前は一切伏せて、受験し、圧倒的な歌唱力と魅力でもちろん合格したが、後になって、陽水の娘ということが判明して、大騒ぎになったらしい。何でも容姿はお母さん、あの美貌の石川セリさん似で、歌の実力はお父さんの陽水譲りらしい。さすが〜!だけど、デビューはどうなってしまったんだろう?もちろん、サラブレットだけど、本人はたぶん厭なんだろうね。デビューされるのが楽しみですね。