神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

(2)−スーパー競争激化ー

macky-jun2008-01-21

 2000年4月に今の家に引っ越してきた。前に住んでいた矢来町に比べ、街までだいぶ近くなり、嬉しかったのを覚えている。その年の12月に大江戸線が開通し、すぐ近くに駅の出口ができた。その後、近くの寂しかった大久保通り沿いに2002年にコンビニ(セブンイレブン)ができ、2003年5月には食品スーパー(キッチンコート)ができた。大久保通りは大通りではあるが、人通りが少なかった。近年は会社の本社も集まってきて、人の往来がめっきり増えてきた。
 2003年には神楽坂5丁目に超高層マンション「アインスタワー」が建ったのを手始めに、次々とマンションが多数建築された。景観保護も含め、地元住民との間で大変な反対運動が展開されたが、結局ゼネコンが押し切った形となった。神楽坂地区(どこからどこまでを指すのか不詳だが)の人口は2倍に増加すると言われている。人の集まる所に商売もインフラも集中する。商圏人口が増えるから、スーパーもコンビニも新規に出店してくる。
 キッチンコート(京王ストアのプチ高級業態)の新規参入が地元スーパーに刺激を与えた。至近にあった牛込中央通りの小さな食品スーパー「ムラタストア」は店を閉め、従来からあったキムラヤの北町店という形で生まれ替わった。こんな身近なところでもM&Aが起きている。丸正神楽坂店も店を閉め、美容室に替わった。従来からあったキムラヤ、よしやは毎週日曜日に朝市をやるようになった。日曜の朝、街は大変活気がある。また、賞味期限が近くなると、スパッと半値に割引されるようになった。かつてはこうした割引はなかった。競争が厳しくなったことで住民は恩恵を得られた。一方で生き残ったスーパーには買い物客が増えている。資本主義の競争原理は正しい。競争に負けたら退場を余儀なくされるのは致し方ない。
 かつて土日は神楽坂商店街はシャッターを閉めているところが多かったが、今ではそのような店は殆どなくなった。地元の商店街も街が活性化するようにいろいろな試みを行っている。江戸時代や明治時代から続く長い伝統と歴史を持つ名店がかつてはあった。伊勢屋(乾物屋)や万長酒店や明治の文豪たちが通った田原屋(洋食屋・フルーツ店)が姿を消していったのは寂しい限りだが、時代の流れには逆らえない。地元の生業店が消え、外食チェーンやドラッグストアに替わっていく。地域としての特色が失われ、面白さはなくなっていかざるを得ない。
 資本主義、市場経済の流れが地元商店街にも押し寄せてきた。人口の増加がインフラや商業の流れを変え、人々のライフスタイルを変えていく。ここ数年の神楽坂地区の変貌は一つの身近な経済モデルとしても大変興味深い事例ではないだろうか。