神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

三浦雄一郎さんの快挙に思う

macky-jun2013-05-25

  2日前凄いニュースが飛び込んできた。80歳の三浦雄一郎さんが世界最高峰のエベレスト山の登頂を果たしたのだった。もちろん最高齢での登頂記録である。三浦さんは70歳、75歳の時にも登っており、3度目だった。75歳の時には1日前に76歳のネパール人が登頂しており、最高齢記録を作れなかった。このネパール人のお爺さんは既に81歳であるが、三浦さんの記録に触発されたのか、近々登頂を計画しているという。世の中に元気なお爺さんはいるものだ。
 彼は登山家というよりもプロスキーヤーを自認している。世界5大陸最高峰スキー滑降記録を持っていたり、数々の偉業を成し遂げている超人だ。そんな三浦さんもメタボに苦しんでいた時があったという。60歳の頃、食べることも好きな彼は太ってしまい、近所の裏山もフーフーと言って息が上がってしまい、登れなくなったことがあったという。
 私は1990年代の中頃に三浦さんに一度お会いしたことがある。さるベンチャー企業の社外役員をされていた彼に、株主総会の席でお会い出来たのだった。学生時代から三浦さんに憧れて、大学のワンゲル部で登山やスキーを愉しんできた私にとっては、憧れの人に会えた素晴らしい一瞬であった。少しだけ言葉を交わし、握手をさせて貰った。三浦さんは背は高くなかったが、がっしりと横幅がとても広い人だった。しかし、ボーッとした感じで、あの偉大な実績を感じさせるオーラが無かった。以前、ドイツ連銀元総裁だったペール氏に会ったときに、偉大な人は威圧感を感じさせないのだと納得した。あの偉大な三浦雄一郎もそうなのかとその時は納得したのだった。
 しかし、後になって知ったことによれば、その時の三浦さんはメタボで、生き甲斐を見失っていた時だったらしいのだ。だから、輝きを感じられなかったのかもしれない。ペール氏も現役の連銀総裁の時であれば、全く違った印象であったに違いない。きっと、今の三浦雄一郎さんに会ったら印象もまた違ったものになったことであろう。 
この快挙の背景には三浦家ご家族の力があった。3回のエベレスト登山を共にした次男の豪太さんは兎も角、現地での折衝を行なった長男、司令塔となり資金集めをした長女、夫を信頼してドーンと構えていた妻、今は亡き人であるが100歳まで現役スキーヤーであった父敬三氏。こうした三浦家家族とそれを支えたプロジェクトメンバーの一大成果だった。