神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

沖縄・移民問題のことなど

macky-jun2013-04-01

  数日前に従兄の秀樹君と暫くぶりに会い、中目黒の沖縄料理屋「草花木果」で一杯やった。彼は日経新聞編集委員だが、特集「米軍普天間飛行場のある街沖縄・宜野湾市に住んでみる」の取材で昨年11月末から12月末までの1か月間、沖縄にアパートを借り滞在した。馴染んだ沖縄料理の店を案内してくれたのだ。
 幾つか面白い話をしてくれた。ペリーは浦賀に来港する前に那覇に来港したこと。黒船の外圧に最初にさらされたのは江戸ではなく、琉球だったのだ。世界遺産にも登録された首里城は現代に造られたテーマパークのような張りぼてであること。第二次大戦で日本軍が首里城参謀本部を置いた為、米軍の総攻撃を受け、城は全焼した。沖縄戦は本土防衛のための時間稼ぎの戦いだった。
 女子供・老人以外は兵隊として駆り出され、沖縄の人口は1/4が減少した。投降すると辱めを受けると、集団自決を迫った。むしろ投降した人は米軍から大事にされ、美味しい食事を与えられ、大事に扱われたという。沖縄の人々にとっては常に本土の捨て石とされてきた歴史的背景があり、それがいまの普天間基地移設問題やオスプレイの問題に繋がっている。そんなに簡単に割り切れる話ではないようだ。
 彼はこれまでにも「移民問題」にフォーカスして、住み込み取材をしてきた。2009/2〜3に愛知県豊田市日系ブラジル人が多い保見団地に住み、子供たちに日本語を教えるボランティア活動をしながら取材をした。2010/2〜3に韓国人を中心としたアジア人が集う東京の大久保のアパートを借り、眠らない街の24時間を取材した。2011/5〜6には新潟県魚沼市の外国人妻のいる農村を隈なく歩き回り取材した。移民問題を机上で考える学者とは違う、徹底的なフィールドワーカーなのだ。
 昨年11月に御茶ノ水山の上ホテルで開かれた彼のこれまでの活動をまとめた本「「移民列島」ニッポン」(藤原書店)の出版記念パーティーに出席した。会場には外国人や外務省など政府関係者、マスコミ、移民居住の多い新宿区の中山区長など、100数十人が出席し、盛況だった。スピーチをした外国人が全て「外で聞いていたの違い、日本人は親切でいい国だ」と語っていたのが印象的だった。 
 2005年から人口減少社会となった日本は出生率も低く、2060年には人口は現在より約4千万人も減り、9千万人を切る。労働力人口は現在の半分になってしまうのだ。「今後の日本がどういう国を目指すかによって移民政策も変わってくる。経済成長を第一に考えるなら、人口減少を一刻も早く食い止めることが重要で、移民を大量に受け入れることが求められる。だが、経済大国を捨て小国になって生きるという選択肢もあるだろう。どんな国造りを目標にするかで、移民受け入れの考え方も変わってくる。その意味で移民政策は今後の日本の針路を決める問題といっても過言ではない。」(「「移民列島」ニッポン」より)