神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

中学校のグラウンドにて

macky-jun2012-09-29

  9月のとある日のことである。中学野球部の仲間が母校グラウンドに集結した。この日は校庭解放日、まだ暑い日々が続くドカッ晴れの日に熱中症が怖いのか、誰も遊んでいない。今の子供たちはエアコンのよく効いた部屋でテレビゲームでもやっているのだろう。夏の暑さなどに負けず、外を走り回っていた自分たちの頃を思い返せば、嘆かわしいばかりだが、当時は各家庭にエアコンなどめったになく、テレビゲームやDVDはおろか録画機すらない時代である。必然的に外で遊ぶか、草野球でもすることが日常風景だったようだ。
 メンバーは三々五々集まり、直に同期メンバー7名全員が集まった。中にはこの日のために熊本からN君が、広島からT君がわざわざ集まってくれたのだ。中学時代のクラブメンバーとは定期的に集まっている。しかし当時練習をしたグラウンドに集まって、54歳になって揃いのTシャツなぞ着て練習するクラブなど他には無いであろう。この珍しい企画にみんなのノリはとても素晴らしかった。
 キャッチボールから始まり、ノック、シートバッティングとメニューを替えて行う。ボールなど久しく投げていないので決して無理などしない。目の老化のせいか、ボールが捕れず、バットになかなか当たらない。しかし慣れてくると徐々に快音も飛び出すようになる。
 子供時代に遊んだ場所やグラウンドは大人になって行ってみると、とても狭く感じるものである。特に我々母校のグラウンドは狭いとの思いが当時は強かった。しかし、しかしである。54歳になって訪れてみると、やけに広く感じるのである。投げても遥かに届かず、バウンドボールが精々である。走っても距離が長く、疲れる。ピッチャープレートからホームまでとてもとても遠いのだ。老人性の退行現象が早くも現れているのだ。
 炎天下の2時から解放終了の4時まで、俺たちは適当に休みつつ、チンタラと年齢に相応しく練習を続けた。投げるボールは山なりで、ど真ん中の球も空振りする。フライには追いつかず、ゴロは簡単に抜かれる。こんな筈では?と思うことが多々あったが、これが現実だ。スポーツをたまにしてみるというのは、既に初老に差し掛かったということを自覚するのにとてもいい。しかし気持ちはすっかり中学生に戻り、懐かしのグラウンドでとてもいい時間を送った。
 2時間たっぷり汗をかき、銭湯のみどり湯に行き、汗を流す。5時からはいつものように宴会だ。緑が丘駅前の「芝松」の2階和室で、刺身盛りに焼き鳥にちゃんこ鍋だ。同期のS君の経営するこのお店はとても繁盛店で、中目黒にも支店を出すほどの勢いなのだが、俺たちにとっては昔からのとてもいいたまり場だ。この日のMVPはT君だった。唯一独身の彼の爆弾発言で、終始彼の話題で盛り上がった。内容は残念ながら極秘である。さて、その後自由が丘に河岸を替え、11:30PMまで愉快に飲む。
 翌日から暫くは体中が痛く、びっこを引いて歩く様となった。若い時代にやった経験はとても楽しくいつまでも忘れないものだが、俺たちにとっての野球はぶざまでも楽しく、これからは年1回はやりたいものだと語り合い、再会を約束し別れたのだった。