神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

中日ドラゴンズ優勝の舞台に

macky-jun2011-10-19

  プロ野球で胴上げシーンを生で見たのは初めてのことだった。実は昨日私は横浜スタジアムに居たのである。マジック1で迎えたこの横浜ベイスターズ戦で、勝つか引き分ければ優勝が決まるという、中日ドラゴンズファンにとってはまさに絶好のカードとなった。相手は3年連続で最下位が決まっているベイスターズだ。
 職場の同僚A君から誘われたのは先週の週明けだった。彼とは昨年もCS、そして日本シリーズと一緒にレフト席で応援をした間柄だ。対ヤクルト戦の最中であったが「18(火)の横浜戦では既に決まっているかもしれませんが、行きませんか」と誘ってくれた。何をおいてもドラゴンズである。
 その後、ヤクルトに4連勝もしてしまい、「これは消化試合だな」と複雑な気持であった。しかし、なんとなんと巨人に3連敗もしてしまったではないか。消化試合のチケットがプラチナカードに化けてしまったのだ。日曜日の対巨人戦では、点差をジリジリ拡げられ、負け試合が濃くなったが、実は一人ニンマリとしていたのである。「これで生で優勝の瞬間を見れる」不届きなドラファンである。
 この日、思いの外、横浜が善戦し、あわやお預けかと思わされたが、6回にブランコの3ランHRで3-3の同点に追いつき、その後はリリーフ陣がよく踏み止まり、なんとかなんとか引き分けに持ち込めた。13連戦の後の疲れが色濃く残っていた試合だった。最後は浅尾がしっかりと締めた。
 落合が宙を舞った。今年中日監督としては最後の落合だ。どんな思いであっただろうか。8月にはヤクルトに10ゲーム以上も離された。にもかかわらず諦めなかった。終盤必ず追いつけると選手を信じていた。翌日の日刊スポーツに「落合反骨手記」と題して、激白が載っていた。「9月中旬のジャイアンツ戦で負けた後、ガッツポーズをした球団の人間がいた。だから勝って見返してやろうじゃないかって、負けじ魂に火が付いたんだ。それからだよ、逆転の物語が始まったのは。」退任発表の日も、突然オーナーに呼び出され、東京から名古屋まで新幹線を立って駆け付けたらしい。落合はよっぽど腹に据えかねたのか、当日もベンチで握手を求める球団社長をシカトした。この映像はTVでも放映されていたし、Youtubeで配信されている。
 優勝の瞬間、テープと紙吹雪の嵐となった。我々もA君の用意してくれた紙テープを投げた。中日の監督以下選手全員がレフト応援席の前にやってきて、お辞儀をしてくれた。これぞ、優勝かと思った。球場を出ると入れなかったドラファンが両側に並び、我々にハイタッチの列をなしていた。あたかも選手のような気分でとても一体感があったのだ。一人一人とタッチを交わし、優勝の喜びを分かち合った。こんな経験はそう簡単にできるものではない。
 ペナントレース優勝はとても重みがある。落合は在任8年間で4回も優勝しているが、リーグ・CS・日本シリーズを通して優勝したことはまだない。今年は是非とも正真正銘の「日本一」となって欲しい。