箱根山登山
この3連休は連日晴れ渡り、快適な日和だった。暑くもなし、寒くもなし。天候に翻弄されたこの一年を思うと、いつもこんな気候であればどんなに幸せなことだろうか。10/10は体育の日。統計上で一年中で一番天候が安定する日、ということでその昔東京オリンピックの開催日に決まった日でもある。
こんな日はじっとしておれないものだ。カミさんと二人で箱根山の登山に出かけることにした。といっても富士箱根の箱根山ではなく、ほんの近くの新宿区戸山にある箱根山である。それでも標高44.6mは都内23区内で一番高いというのだから驚きだ。牛込北町からバスに乗って、国立医療センター前で下車。都営住宅戸山ハイツを囲むように戸山公園が複雑な形をしてあるが、その公園内にある。
加藤嶺夫の「東京消えた街角」という写真集がある。出版社勤務の傍らで30年間撮り続けた東京の姿を1999年に出版したものだ。そこにはもはや消え去ってしまった都区内の写真が多数収められている。多くは昭和40年代のものが多く、私の年代からすれば少年時代に記憶のある、とても懐かしい街並みであったりする。その中に戸山ハイツから箱根山と隣にある戸山教会を写した昭和43年3月10日の写真がある。この景色を現在のそれと見比べたかった。永年そう思っていたが、できなかった。すぐ近くにあるのに実行していなかった。そんなことは数多くありそうだ。
手島宗太郎の「江戸・東京百名山を行く」という本棚に眠っていた本を予め調べる。予備知識を蓄えていった方がちょっとした旅でも楽しくなる。この本も素晴らしい内容で、日本テレビ勤務の著者が長年にわたる趣味の散歩が実を結び、著書刊行となったもので、著者の薀蓄がいっぱい詰まっている。
この戸山地区は尾張藩の下屋敷があった所で、3代将軍家光の長女千代姫(大河ドラマ「江」の孫)が尾張徳川家2代光友に嫁ぎ、戸山山荘といった広大な屋敷を設けた。その時、箱根山を中心に東海道53次に擬し、風雅な庭園を造ったのが始まりらしい。明治時代に官有地となり、屋敷と庭園は壊されたが、箱根山だけが残った。その後、この地は陸軍戸山学校となり、ずっと軍用地であったが、戦後、東京都に移管され、団地第一号となった。
さて、箱根山に行くとなんと写真にあった戸山教会が、43年経った今もそのままの姿で残っていたのだった。写真が箱根山の頂上から見た戸山教会の姿です。周囲の木が成長し、森のようになっているので景色はガラッと変わってしまったが、自然のままに残っていた。箱根山は桜の木で囲まれていて、春には頂上はまるで桜の雲海に囲まれるかのようらしい。是非、また訪れてみたい。