神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

志賀高原の思い出

macky-jun2011-08-15

  子供が小さい頃、毎年5月の連休には春スキーをやりに志賀高原に行くのが、我が家のならいだった。蓮池の先に銀行の保養所があったが、公的資金を入れた際(12年前)に売却されてしまった。建物がここにあったことさえ分からない程、草が生い茂っており、その面影を留めていなかった。しかし、保養所前のバス停だけはいまだに残っている。いったい誰が乗るのだろう。バス停の名前はなんと旧行のままなのだ。
 通り過ぎた過去、歴史を確認するように妻と一緒に写真におさめた。ここはとても大事な思い出の詰まった場所なのだ。保養所ロッジのある所から、笹の林をトラバースしていくと、ジャイアントスキー場に出れる。志賀高原は小さなスキー場がたくさん集まった集合体なのだが、その中でも最も急なバーンがこのジャイアントにはある。
 まだスキーを始めたばかりの子供たちを連れて行く親も無謀なら、それを怖がらずに滑り降りた子供たちにも感心する。そこからリフトを乗りつなぎ、西館山、発哺ブナ平、東館山高天原、一の瀬のスキー場にスキーサーカスする(スキー場を渡り歩くこと)のがとても楽しかった。途中では日本猿によく出会った。オコジョもタンネの森にいるようだ。
 更に車で奥まで行くと、焼額山奥志賀高原スキー場になる。映画「わたしをスキーに連れてって」や、奥志賀高原は皇太子夫妻がお好きなスキー場としても有名だ。息子が大好きなコブをピョンピョン跳ねて、滑っていたのを思い出す。パジェロを買ったばかりの秋に、初めてオフロードを走ったのもこの志賀高原だった。そんな思い出がぎっしり詰まったのが、志賀高原だ。