神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

山里の廃校にて

macky-jun2011-05-02

  連休前半、妻の実家に夫婦2人で行ってきた。帰り道、聖高原の山道をオデッセイで快適に下っていく、その先に桜の群生した場所を発見した。そこは元々、日向(ひなた)小学校があった廃校跡地だった。いまは校舎も撤去され、校庭とかつて学校があったことを示す石碑が立っているだけだ。
 石碑を読むと、この学校は明治6年に開校され、その後のいく度かの市町村統合に伴う学校併合分離に遭い、麻績小学校の分校となり、昭和45年に廃校となった。その歴史は97年、百周年を目前とし閉じられた。昭和45年といえば、その時の小学5年生は我々と同じ歳だろうか。そして、平成11年に校舎は取り壊される。随分と長いこと、残っていたものである。
 石垣の下の校庭を囲むように、桜の木が満開である。山里の廃校に人は我々を除いて誰もいない。ひっそりと静まりかえった廃校跡地は不思議な空間だった。明治6年開校といえば、学校令が公布されたのが明治19年だから、日本全国の中でも開校したのはかなり早い方だ。教育県である信州ならではのことであろう。この学校を巣立って行った、多くの子供たちはその後、どんな人生を歩んだことだろうか。
 桜吹雪とともに、土地に残っているであろう地霊から、子供たち、そこで働いた先生たちを空想した。校庭を囲む石垣には国旗掲揚台と思しき残がいや、校庭の隅には古く朽ち果てた学校机や椅子が残っていた。熱い歓声や笑い声が聞こえてくるような気がした。