神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

大地震発生

macky-jun2011-03-11

  とんでもない大地震が起きた。宮城県沖が震源のようだが、当初M7.9と発表されたが、後にM8.4に訂正された。そして、更になんとM8.8に訂正された。想定範囲外の大地震だと言う。甚大な被害があった模様だ。職場のテレビ画面で、津波に呑みこまれる車や家屋、炎上する千葉市原のコスモ石油の石油コンビナート、崩落するビル・・・・。まるで映画のようなシーンが次々と登場する。これは実際に起こっていることなのだ。
 今回は東京でもかつて経験したことがないほど、激しい揺れがあり、しかも何度も繰り返し起こった。震度5強だという。激しい時には立っているのもやっとだった。だから、現実のこととして充分受け止めることができた。ならば、何ができるか。家族に連絡したくても、家の電話も携帯も通じない。安否もわからない。メールは送信できたものの、返信はないから、着信できていないのだろう。ただ、ボーっと机の前に座り、テレビ報道を観ているしかなかった。ただ、ネットはしっかり情報を伝えており、刻一刻正確な情報が集まってきたので、状況は掴めた。
 就業時間の5:10過ぎに「帰れる人は帰ってよい」とのことで、可能な人は帰宅し始めた。私も5時半には会社を出た。外は歩いて帰宅しようという人でいっぱいだった。日比谷公園脇の官庁街を抜け、国会議事堂を正面に通った。ヘルメットを被った人々がいて、遥か昔の安保闘争を想い出してしまった。最高裁判所国立劇場、英国大使館を通り、靖国神社に抜ける。一口坂を通り、外堀を渡れば、もう市ヶ谷だ。先般、妻の自転車を買ったサイクルショップに行列が出来ていた。店頭の格安自転車は全て売り切れだ。電車はいつ動きだすか、皆目分からない。タクシーも捕まらず、高いコストを払う位なら自転車で・・・と考えたのだろう。
 約1時間で家に到着すると、息子のみ一人帰っていた。妻の殴り書きの手紙があり、被災時は家にいたようだが、保育園のバイトに出かけたようだ。妻らしいと思った。園児たちの顔が浮かんだようだ。私の1階の部屋が一番酷いことになっており、本が散乱し、テレビが飛び出しており、ビデオデッキが倒れていた。不思議なことに息子の部屋のガンダム等プラモは倒れもせず、全く無事だったようだ。息子の友達O君が非難させて下さいと転がりこんできた。池袋から歩いて来たらしい。7時過ぎには妻も戻ってきた。冷え切った体を温めるべく、熱燗酒を飲みながらテレビ中継を観る。とんでもないことが起こった。だけど、自分は為すすべない。まずは身の回りの人達が無事だと確認して、早々に寝てしまった。そう風邪が悪化して、つらかったのだ。 
 まだ歩き続けている人もいるに違いない。都内には学校等、避難所が開設された。職場で夜を明かした人も多いだろう。東京の被害は大したことはないようだが、宮城ほか東北地方の被害は甚大なようだ。どの位の被害だったか全くわからないが、皆さまの無事を願いたい。
 不気味な写真でしょう。帰り道で国会議事堂正面の横断歩道を渡りながら撮った一枚なので、誰も人が写っていません。空の色が不穏なこの国の将来を表わしているようでとっても不安です。