神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「白球を追って」の旅

macky-jun2011-03-05

 「白球を追って」を書いたことで、母校のある街を急に訪ねてみたくなった。やはりあの辺りに住んでいた友人を誘い、大岡山駅で待ち合わせ、懐かしの街を歩いてみた。駅は近代的なビルに変わっており、駅前の東工大はテクノロジーの学校だけあって、とても近未来的な正門に変貌していた。スタート地点から我々の知っている世界はなくなっていた。大岡山商店街は店舗の変遷はあるものの、当時からの店もまだ残っており、そこそこ賑わっていた。鶯坂という美しい名前の坂を下った。子供の時の記憶ではもっと遥かに急坂であった。しかし、実際に歩いた道は幅も距離感もずっと記憶よりも短いのだ。
 途中、偶然にも昔の友人にばったり出会う。「是非上がって、お袋に会っていってくれ」との言葉に、ちょっとお宅にお邪魔し、80歳になるお母様としばし会話を楽しむ。30年も前から運命学の研究家でもあるお母様の話はとても面白かった。「貴方たちみんな、2月迄で悪い運勢は消え、これから良くなるわよ」との有難い御言葉を頂き、友人宅を後にする。
  母校目黒11中のグラウンドは5年ぶりだった。校庭開放中であり、我々もグラウンドに入れた。前に感激した立派なバックネットがあり、それにめがけてボールを投げてみたかった。40年前の自分が、純一少年がそこにいた。青いグローブを持って、走っていた。「君、そのグローブを亡くしちゃだめだよ。大事に扱えよ」と、知らない50がらみのオジサンから声を掛けられ、純一はびっくりしたようだった。そのグローブは何処かで亡くしてしまったものだった。
 「君は純一君だね。野球が好きなんだ。好きなことは何としてもやり続けなければいけないよ。」などと言われ、ますます戸惑ったようだった。「いったい誰だろう?どこかで会ったような気がする。想い出せない」オジサンはただ笑って、純一のことを見ていたが、いつの間にか視界から消えてしまった。
 私も我に帰ると、純一少年が消えていることに気がついた。不思議な空間だ。時空間の入り口かもしれないなどと考えながら、キャッチボールを始めた。何年振りだろう。友人の投げるボールは優しかった。柔らかな放物線を描き、胸をめがけて投げ合った。私も久しぶりのわりにはそこそこ投げられたことにほっと安心した。
 この日の収穫はピッチャープレートをグラウンド内に発見したことだった。学年男女共50〜60名の人数では、運動クラブ活動の維持も難しくなっており、純一達のいた野球部も既になくなっていた。だから、よもやそんなモノがあろうとは想像だにしていなかった。何度も慈しむようにプレートに足をかけ、ピッチングフォームをしてみた。約40年前に思いを馳せた。
 校庭開放は4時までだった。もっと続けてやっていたかったが、ボランティアのお爺さんに追いたてられ、残念ながら母校を後にした。第一グラウンドはフェンスの外から覗いただけだったが、我々が中学の頃とあまり変わった様子はなかった。つまり、懐かしい景色がそのまま残っていた。
 暗渠になって蓋をされ、その上が遊歩道になった呑川沿いを歩き、中根小学校に出た。ここは逆に校舎もグラウンドも大きく変わってしまい、ほとんど昔の面影を留めていなかった。半ズボンを履いた純一少年に会えるかと期待したが、彼は現われなかった。あまりにも変わり過ぎていたからだろうか。
 昔、読んだ泉麻人の本で、国会図書館に古い年代の住宅地図が保存されており、有料でコピーをしてもらえることを知った。10数年前であるが、昔住んでいた新中野と、この目黒の通学地域の住宅地図をコピーしてもらったことがあった。いまは電子化されているが、その40年も前の地図はなんと手書きなのだ。これが散歩の愉しみを倍加させる武器になるという。今回、その秘密兵器がようやくベールを脱ぐ時がきた。その古い住宅地図と現在の地図を見比べながら、街を歩いてみた。記憶はおぼろげであるが、古い地図があることで甦ってくる。昔、遊んだ友人宅にマーカーで印をつけて歩いた。傍から見れば、我々はまるで怪しげなセールスマンか宗教勧誘員と思われたに違いない。やばい、やばい(汗)。
 通学区域となっていた、大岡山〜平町〜中根〜緑が丘と歩く。私の住んでいた銀行の社宅はマンションになっていた。商店街も40年前にあった店はわずかだが残っていた。しかし、自由が丘の繁栄に比べ、都立大学も緑が丘も周辺商店街は朽ち果てているようで、寂しかった。緑が丘に至っては商店街は消え、殆ど住宅街になっていた。
 センチメンタルジャーニーか、ときめきメモリアルか。我々は同期生の経営するちゃんこ料理屋「芝松」の座敷で、刺身と焼き鳥とちゃんこ鍋で一杯やる。店主のS君が温かく迎えてくれた。この日の短くも、味わい深い旅を振り返りながら、酒を酌み交わし、友の作ってくれた料理を味わった。我々は宵闇の懐かしい街を歩いて、更に自由が丘に流れたのだった。