神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

KYOJIさんの思い出

macky-jun2011-01-17

  昔、会社にKYOJIさんという先輩がいた。私より8年上の先輩だった。この人はいろんな意味でとてもユニークな人であった。私が国際営業部の外資系営業チームにいた頃だから、今から20年以上も前の話である。まだ私は20代後半だったと思う。当時、KYOJIさんは金融商品開発部というセクションにいて、金融新商品を売り込む機能営業をされていた。
 KYOJIさんは長身で髪が長く、とってもカッコイイ人だった。今ならイケメンと言われるだろう。何でも学生時代に「男性専科」か「Check Mate」という男性ファッション雑誌のモデルをやっていたらしい。英語がとても達者で、銀行員の分際でビジネス英語の本まで出版していた。
 国際営業部のオフィスにおもむろにやってきて、勝手に誰かの座席に座り、電話で英語で交渉を始め、ベラベラしゃべるのだ。それを見た女子行員がウットリした眼で「素敵!」とマジで話していた。そんなキザなスタンドプレーもさまになってしまう、不思議な魅力を持った人だった。
 難攻不落のスイス系の大手製薬会社に、SWAPを組み合わせたローンスキームを一緒に提案に行って、やくざな態度で「これが解らなかったらアホだ」みたいなハラハラする大胆なセールストークで、長期貸出を一発で決めたことがあった。これはその外資系製薬会社にとって、本社移転資金となる長期貸出だった。おまけに我々との新規取引となったのだ。いずれにしろ型破りな銀行員らしからぬ銀行員だった。
 この日、よくやったとKYOJIさんに褒められ、自由が丘に飲みにつれて行かれた。カッコマンなのにカッコつけないKYOJIさんは、中華料理屋でまずラーメンを食べて腹を満たしてから、SNACKのような店に入った。そこで店の若い女の子に、「態度がなってない」と説教をしてしまうのだ。
 KYOJIさんは将来を嘱望されていた人だったが、何故だか、その後、部長にも役員にもならなかった。東大・一橋・京大・早慶出身が8〜9割を占めるという有名校に超偏った会社であったが、KYOJIさんは無名私立大の出身だったということは後に知った。別に出身大学がどこかは出世に関係はないが、KYOJIさんはその後、金融工学関連の関係会社に転出した。その後、彼がどうなったかは知らない。
 酔っ払ったKYOJIさんが「技を磨いてプロとしてやっていくなら、どんなに破天荒なスタイルでやってもいいが、そうでないなら、上司の言うことをちゃんと聴いて真面目なビジネスマンになれ。」と熱く語っていたのを今でも忘れない。いま、KYOJIさんはどうしているだろうか?