神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

情報端末に振り回されていないか

macky-jun2010-12-21

 「情報端末で人と人が「つながる」と思うのは錯覚です」と若いお坊さんが面白いことを言っている。日経新聞12/20朝刊「インタビュー領空侵犯」の記事で、東大教養学部を卒業した32歳の世田谷の月読寺住職の小池龍之介氏の発言だ。
 ネット空間の情報の海の中で、誰もが共通して関心を抱くのは「自分の所在」である。自分が人からどう扱われているか、大事にしたいと思われているか、すごく気になる。ツィッターやメールですぐに返事が返ってくると、瞬間は気持ちがいい。つながっているんだなと感じる。ここに大きな罠があり、嬉しいと感じる脳内作用に慣れが生じる。だから、返事が早く来ないと不安になり、不信感や怒りに襲われる。しかも次の反応が来ても前ほどは気持ち良くない。何か足りない感じがして、より早くより多く、という循環に入り込む。
 情報端末、即ちパソコンや携帯から得られるのは、主に記号情報である。そこに会話する相手の顔や声は無く、文字やアイコンのみである。人間の脳は、記号からイメージをバーチャルに再構成する性質を持っており、言語は抽象度が高い伝達手段なので、受け手は情報を変形、加工しなければならない。いくらでも連想ゲームを働かせてしまうので、我々の心はとても疲れる。
 絶えず情報端末にアクセスしていないと、安心できなくなる。それは、みんな寂しいということなのだろう。寂しいから、情報端末に頼ってつながりを求めているのだ。寂しさを痛切に感じる我々のような50歳世代は尚更であろう。しかし、情報ツールと距離を置かないと、人は現実の身体感覚を忘れ、言語だけであれこれ考える「脳内生活」になってしまう、と同氏は警鐘を鳴らす。
 私はこうして日々、PCに向かってブログを書き、他人のアクセスやコメントを気にしている。メールが気になってしょうがない。それはiPhoneに来るメールも同じことだ。まさに情報端末を楽しみつつも、それに振り回されているとも言える。かつてはそうではなかった。何日間もPCを開かず、届いたメールを数日間経って、ようやく読んだことさえあった。いつからネット空間の迷子になってしまったか。このブログを読んでいる方たちも、思い当たることが多かろう。
 職場で隣の席の人からメールで会話をされたというような笑い話のようなことを、私も経験している。確かに、情報端末やそれの作りだすネット社会は便利ではあるが、人間がそれに振り回されてしまったら本末転倒である。人と人とのつながりは相手の顔や眼差しをじっくりと見て、会話をするのが正しいあり方ではないだろうか、と今更ながらに思うのである。