神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

浪漫の騎士になれるか

macky-jun2010-08-30

  昨日、読んだ河合隼雄の「大人の友情」について書いてみたい。まずはこの書のタイトルに惹かれた。「友だち」というと、すぐに子ども時代のことを連想するので、「大人の友情」というタイトルにしたらしい。確かに、友だち、友情というものは一生関わりのある言葉であるが、子供、若者主体に考えてしまうことはとても妙である。この年になってみると、友だちは学生時代に比べても益々大事な存在になっていくから、大人になってこそ友情論は必要なのであろう。
 「人間はなかなか一人では生きていけない。孤独は恐ろしい。自分の存在を認めてくれる人がいることで、人間はどれほど安定しておられるかわからない。」(第2章友情を支えるもの)友とは自分のアイデンティティーを確認できる存在である。友がいることで自分の精神的平衡感が保てることか。
 「幼なじみ」の友人の強いところは、「世間で認められる為に必要と考えられている、地位、財産、名声などに関係なく、お互いに存在を認めあっているのだ。」(第2章 同)同窓会や昔の仲間に会うのが楽しく、楽ちんなのは「構える」必要がないことであろう。素っ裸の自分に近くなれる、だからとても気持ちがいいのだ。カッコつけても化粧しても、ガキの頃の自分を知られているから、今更カッコつけよう筈もないし、下手に構えたら嫌われてしまうだろう。
 「男女の間に友情が生じたとしても、そこに恋愛感情が出てきて、友人関係を保つことなど不可能になるのではないだろうか」人間にとって、恋愛感情というものが、いかに強いものであって、「それは人間が動物の一種である限り、そのうちに男女の惹き合う力が作用してきて、注意も配慮も消え去ってしまう。」(第3章男女間に友情は成立するか)  
 恋心を持ちながら、「実際に行動することは抑制し、友人としてつきあっているうちに、「性」の持つ精神性によって高められ、それは、純粋で美しい友情へと昇華することはないだろうか。」「このことを実践したのが、中世ヨーロッパの騎士の間に起こった、「ロマンティック・ラブ」である。騎士は愛する女性に自分の全てを捧げ、死を賭して戦うが、性的な欲望は絶対に抑える。このために騎士は苦しむが、鍛えられ、高められて、宗教とも呼べるような精神性を獲得する。」(第3章 同)この文章を読みながら、Chick Coreaの率いるRTFのアルバム「Romantic Warrior(浪漫の騎士)」を思い出し、さっそくCDをかけて、自分も崇高な中世騎士の気分を味わいました(馬鹿だね〜)。
 「異性間の友情は相当な心の深さに関連している。「深い関係」とは、肉体関係を意味するが、心の関係がだんだんと深まってゆくときに、体を通じることなく、あくまで心の関係として深まっていく、ということは可能である、と思われる。」(第3章 同)プラトニックラブと異性間の友情は同じか否か。
 「友情とは、あらゆる人間関係の基盤としてそれはあり、人間の生き方を豊かにしてくれるもの。」(第12章境界を超える友情)一人ぼっちはつまらないもの。友と共有することで、何倍にも増幅して楽しくなるもの、それが心の豊かさということでしょうか。
 「友と友を結ぶ存在としての「たましい」などということに、少しでも想いを致すことによって、現代人の生活はもっと豊かで、幸福なものとなるのではなかろうか。」(第12章 同)と河合隼雄さんは結んでおられます。
河合さんの言葉を引用して、何かコメントでもつけようかと無謀にも始めましたが、とても小生ごときが大心理学者に対し、友情論、恋愛論を論じられよう筈もなく、殆ど気に入った箇所の紹介に終わりました。玉砕で〜す。関心を持たれた方は同書をお読み頂ければ幸甚です。