神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

初めてのアルバム

macky-jun2010-08-13

 一週間の休みなど終わってみればあっという間である。高校仲間との炎暑のゴルフ、表参道探訪、娘と初めて行った居酒屋、実家の親と病院に・・・と遠出をしたわけではないが、充実した休暇を送れた。
 まとまった時間がとれる休みでもあり、先日久々に昔のアルバムを見た。長年生きていると、アルバムもたくさんある。しかし、その中でも特に印象的だったのは、俺の初めてのアルバムだ。当時、写真が趣味で、現像から焼き付けまで自分でやった父が、沢山の写真を撮っていた。二人にとって初めての子供である俺の写真は特に多いようだ。いわゆる成長の記録である。
 写真に写っている若い母も父も、俺を見つめる眼差しがとても優しい。如何に俺の誕生を喜んでくれていたのかということがわかった。歓迎されて生まれ、大事に育ててもらった。特に俺は2か月も早産だったので、とても小さく生まれてきた。1ヶ月間はオフィスキャビネットの引き出しのような保育器に入れられ、酸素吸入マスクを当てられていた。
 最初は母乳を吸う力もなかったから、父が脱脂綿に砂糖水を浸し、小さい口にふくませたという(俺はカブトムシか!?)。生まれたばかりの写真を見ると、頭ばかりでかく、まだ胎児(火星人)のような姿であった。本来なら、まだ母の胎内に居て、ヌクヌクとしていた処を2ヶ月間も早く、せっかちにも世に飛び出してしまった。正確には、オッチョコチョイの母が階段から足を滑らせ、落ちてしまったショックで、出てきたようだ。
 よくぞ、生き残ったものだ。10年程前に眼底検査をして貰った医師から「未熟児で生まれてきたでしょう」と言われたことがあった。眼の裏側にそんな昔の、生まれた時の痕跡が残っているようなのだ。俺にはどこか未発達な部分があると思ってきたけど、そういうことかと妙に納得したことがあった。
 成長の過程で、両親の楽しそうな姿や期待が窺えた。いまの年老いて、体も不自由な二人からは程遠い、元気ないきいきとした姿。古い写真を眺めていて、目頭が熱くなり、涙が溢れそうになった。今度は子である俺がいただいてきた恩を返す番である。