神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

NHK「焼け跡のホームランボール」

macky-jun2010-08-01

 NHKアーカイブスで昼間やっていた、井上ひさし原作ドラマ「焼け跡のホームランボール」が面白かった。終戦後、山形から闇米を担いで、キセルで東京まで乗ってきた少年5人組の話。サトイモの茎で作った手製のボールで練習する彼らは、どうしても軟球で練習できる裕福な少年のチームに勝てない。軟球を手に入れる為に、彼らは協力しながら、知恵を使い、何とか汽車に乗り込む。途中、進駐軍お抱えのJazz Bandリーダーの闇米を盗んだり、上野で出会った少年にまんまと嵌められ、米を奪われたり、いろいろなハプニングを経験しながら、軟球製造所を訪ね、目的だったドリームボールを一つだけ手に入れることに成功する。
 ドリームボールとは、軟球が普及する前の、二つの半球を貼り合せただけのギザギザ模様の入った粗悪なボールだ。僕らが子供の頃も稀にではあるが、空き地で拾って出会ったことがある。当時、草野球は子供たち共通の遊びであった。道具は徐々に高度化していったが、僕らよりも上の世代は粗末な硬い皮のグローブを使っていた。小学校の頃は、マンション開発用地が暫く野晒しにされ、草がボーボーと生え、そのデコボコの空き地で、放課後は集まって、野球をやったものだ。
 この放送は2002年8月に放送されたが、先般亡くなられた、井上ひさしさん(1981年:当時46歳)のインタビューも登場し、「野球を通じて、仕事の分担(野球は守備によって役割が違う)とか、道具の扱い方とか、友とのつき合い方、すなわち民主主義というものを教えてくれた。」と語っていた。原作は同氏の「下駄の上の卵」である。
 このドラマでは、戦後の混乱した貧しい時代を大人も子供も、前を向いて懸命に生きている姿を描いている。浮浪児やJazzBandで歌う少女歌手や、パンパンの女性も、特攻隊上がりも、担ぎ屋も登場する。みんな立場の違いこそあれ、必死に前を向いて懸命に生きていることが伝わってくる。そのそれぞれの出会いの中で、少年は相手の立場や痛みを思いやることを知り、成長していく。
 僕らの生まれた年は既に戦後13年経っており、戦後のドサクサは知らないものの、日本は高度成長時代前でまだ貧しさを残しており、何となく彼らの心情はわかった。時代は違うが、僕らも野球で学んだものは多い。僕自身もドリームボールならず、オリオールズのサイン用ボールを持って、宿舎のホテルニューオータニに大リーガーのサインを貰いに飛び込んでいくような、無鉄砲なガキだった。彼らのやんちゃな旅を見ていて、あたかも少年時代の自分を見ているかのような気がしたのだった。