神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「さまよう刃」を観て、少年法を問う

macky-jun2010-03-26

 先日、「さまよう刃」という少年犯罪をテーマとした、売れっ子東野圭吾原作の社会派サスペンス映画を観た。内容はとても重い。最愛の一人娘を凌辱され、無残にも殺されてしまった父親(寺尾聰)の復讐劇である。
 現行の少年法では未成年者は名前も公表されることがなければ、その刑罰も成人に比べ、遥かに軽い。どんな残忍な犯罪を犯しても、いずれ短い刑期を済ませ、社会に出てくる。父親は法律が裁けなければ、自分が裁くまでだと主張し、一人目の少年を殺し、二人目の少年を追いかける。
 観ていて、寺尾が演じる父親を応援してしまう。たとえ復讐だろうと、人殺しは悪いことだと知りつつも、心情的に父親に娘の復讐をさせたいと思ってしまう。娘を持つ父親として、その心情は痛いほどわかる。2年前に妻を亡くし、生きがいは娘の成長のみという56歳の男にとって、それ程かけがいのない宝物である娘を奪われたのだから、もう生きていてもしょうがないと思うだろう。この後、彼はいったいどう生きていったらいいのだろうか。
 私も同じ立場だったら、同じ心境になるだろうし、自分の手で敵討ちをしたいと思うだろう。昔は我が国でも、仇討というものが認められていた。現行法のもとでは加害者保護が先に立ち、被害者は救済されない。少年犯罪であれば尚更だ。昔、セメント樽殺人事件という、とても痛ましい少年犯罪事件があった。あの少年たちは既に社会復帰したのだろうか。そして、被害者の家族はいまどんな風に生活しているのだろうか。
 麻薬の青少年達への浸透、犯罪の低年齢化・・・現代の日本社会が抱える問題は多い。昨年から裁判員裁判制度が始まった。司法は徐々に変わりつつあるのだろうが、少年法の問題についても改正を考えるべきではないだろうか。