神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

 携帯電話のもたらしたもの

macky-jun2010-02-02

  我が妻は昔のことをよく覚えていて、しかも俺から受けた酷い仕打ちを特に覚えていて、何かあると「あ〜ムカついた」とほざくのである。例えば、結婚前のしかも学生時代に待ち合わせで2時間も待たされたとか、新婚の妊娠して体が辛い時に夏の暑い海岸で(俺が)勝つまでオセロを付き合わされた、という類の話である。
 こちらはもうとうに忘れてしまったことをほじ繰り出して、ネチネチ攻撃してくるのである。他愛もない話だから、いい加減忘れて貰いたいものだが、そうはいかない。「一生言い続けてやる」とのたまわってくれる。浅田次郎さんの新作エッセイ「I'm fine」を立ち読みしていて、似たような話があった。学校の同窓会で40年前に、待ち合わせをすっぽかされたと女性から言われるが、こちらこそすっぽかされたという記憶がある。お互いがその場で罵り合いに発展するが、その女性とどういう関係だったのか、どういうシチュエーションだったのか、は記憶の彼方に飛んでしまっているという話だ。
 たぶん、約束日時が違っていたというのがオチであろうが、現代ではこんなミスは起きない。すなわち、携帯電話があるからで、約束に遅れれば、すぐ携帯で連絡を取り合っている。携帯があるから、時間に遅れるのも安易になっているのかもしれない。人と待ち合わせをして、ちゃんと来てくれるかどうか、ドキドキしながら待つという感覚はもはや無くなってしまった。それは手紙を何日も楽しみに待つという感覚を、メールが消し去ってしまったのと同じようなことだ。
 携帯電話、メールという通信手段の進歩は我々の生活を格段に便利にはした。しかしながら、昔の人が(我々世代も若い頃というか、つい10年程前までは)感じていた情諸というものを失ってしまったようだ。だから、何時間も何日も堪えながら待つ、という人間としての能力も失い、堪え性がない人間が増えているのではないかと危惧する。
写真はこれまで私が使ってきた携帯電話のオンパレードです。何故か、新しいモノほど大きくなっています。機能が次々と増えたからでしょうか。