神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

Albertからの手紙

macky-jun2010-01-05

  ToDoリストが消化できていないということで、ようやく動き出した。午前中はドイツに住むAlbert Gresserにメールを書いた。クリスマスメールを貰っていたが、年賀メールとして書こうと、英文メールなのでついつい遅れてしまった。英文を書くことがめっきり減っているというか、殆ど無くなってしまった。いちいち辞書を見ながらでないと、文章が書けない。しかし、PCは便利で、単語の間違いを直ちに指摘してくれる。これがなければ、誤字だらけになるだろう。ついでに文法間違いも指摘してくれると嬉しいのだけど・・。
 翻訳ソフトがあるくらいだから、たぶん文法や表現チェックのソフト位はどこかにあるのだろう。このブログもGoogleの翻訳ソフトで、直ちに数ヶ国語に翻訳されているのを知った時は驚いた。カザフスタンやネパールやケニヤからもアクセスがあるのだ。当初は現地駐在の日本人が読んでいるのかと思っていたが、そうばかりではないようだ。もっとも翻訳ソフトは完全ではなくて、誤訳があったり、複数言語が混じったり、とても変な訳ではある。しかし、瞬時に翻訳できてしまうのには誠に驚かされるのである。
 Albert Gresserからは毎年クリスマスメールが届く。以前はクリスマスカードだったが、いつの頃からかメールに替わった。そこに、家族の近況がびっしり書いてあるのだ。日本人である私からすれば、家族個人の状況を細かく伝えるのは奇異な気もするが、そこは家族を大事にするドイツ人の気質というものだろう。
 Albertとの仲は長くて、既に22年になる。1988年に私がドイツに一年間滞在した折に、ミュンヘンのBayerische Hypotehken Bankで三ヶ月間研修した時に、営業支店での研修としてMunchen Ostミュンヘン東)支店に1ヵ月間いたが、そこの営業課にいたのがAlbertだった。その2年後、今度はAlbertが日本に支店を開く準備委員含みとして、ECトレイニープログラムの一員として来日。私の銀行に今度は彼をトレイニーとして受け入れることになった。結局、支店開設は日本のバブル崩壊もあり、取り止めになったが、彼は1年半ほど滞在した。ともにお互いの家を行き来して、よく遊んだ。彼のドイツ人仲間も何人も紹介してもらった。
 彼のビジネス上の目的は達成できなかったが、すっかり上手になった日本語で彼はしっかりと土産物を持って帰ったのだった。こちらで知り合った日本女性Ritsukoさんと結婚することになったのだった。日本の宮崎県が実家にもなったAlbertは、その後も何度か来日した。1989年11月10日、ベルリンの壁が崩壊した当日も、ちょうど彼が我が家に遊びに来ていた。何故かその日、彼が興奮しており、壁が崩壊したと言う。常識では起こり得ない事実だったので、とても印象的に覚えている。
 彼はHypo Bankを辞め、13年前に自身の金融資産運用会社を設立し、社長をやっている。事業も極めて順調に推移しているようであり、家庭でも、Ritsukoさんとの間にお嬢さん2人をもうけ、とても幸せそうである。今年は彼が来日するかもしれない。再会が楽しみである。