神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

芥川賞受賞 磯崎憲一郎さんへの興味

macky-jun2009-08-13

 昨晩は結局眠れずに、くだらない蚊とのバトルの話を書いたのだが、それが記念すべき400話目だということに後で気がついた。もっと格調高く決めたかったのだが、平凡な日常を送っているので、そうそうかっこいい話などあろうはずもない。
 先程の芥川賞を受賞された磯崎憲一郎さんに興味を持っている。三井物産に勤める現役44歳のビジネスマンである。早大商学部を卒業し、88年に同社に入社。大企業でハードなビジネスをこなしながら、小説を書き続け、2008年も芥川賞候補に残り、今年の受賞となった。今回の受賞作「終の住処」は本屋で手にとって、ざっとめくったのみなので、作品については何も言う資格はない。ただ、よくああいうテーマで、ビジネスマンが時間を遣り繰りして書けたなという気がした。
 ストーリーは30過ぎて結婚した夫婦が会話のない断絶した暮らしを送る、という生き地獄のような生活を描いたものらしい。実際の磯崎さんの人生とは違う、まったくの創作なのだろうが、よく自分とは違う人物像や人間関係を空想し書けるな、と思うのである。どこかに本人の考え方や本人そのものが投影されていないものだろうか。その場合に奥さんやその周りの人との関係を気にしないのだろうか、などと下世話なことを考えてしまう。
 私自身は毎晩こうして拙い、短い文章を書いている。しかし、それはエッセイと言われるようなものであり、創作、すなわち作り話ではない。限りなく100%に近い、実在の話を書いているつもりである。書くことには慣れているものの、これまでついぞ、小説なるものを書いたことがない。書いてみたいという憧れはある。だけど、リアルな話ばかり書いている人間にとって、嘘の話(架空の話)を書くことにどこか躊躇ってしまう自分がいるのである。
 同じ大企業に勤める者として、磯崎憲一郎さんのように、2足のわらじをうまく履き分け、地道に書いている人がいる、ことに衝撃というか、勇気を頂いた思いである。「小説家としては、受賞によって”書く場”を与えてもらえるのが、大きな意味を持つ」と受賞インタビューで語っている。「時間を書く」「自分たちが感じる時間」これを表現することが、小説を書く上でのテーマであるらしい。「会社員と小説家という2足のわらじは・・・自分にとっては磯崎憲一郎という人間の見せ方の違いに過ぎず、実は同じことをやっている」とも語っていました。
 実は私も昔、昔、三井物産から内定を貰い、結果的にお世話にならなかったものの、自分を買ってくれた会社として、とても愛着を持ってきました。ひょっとしたら、物産マンになっていたかもしれない。だから、例年の芥川賞受賞者とは違い、磯崎憲一郎さんにはただならぬ関心を持っている。いつ作品を書いているのか。どう時間を捻出しているのか。テーマやストーリーの着想はどういう時にしているのか。休日はどう送っているのか。家族との関係はどうなのか。そして、彼の仕事ぶりはどうなのか。そんなことが気になってしまうのである。