神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

七夕の晩に思い出すこと

macky-jun2009-07-07

 今日、7月7日は言わずと知れた七夕の日。毎年、梅雨の真ん中であるため、雨が降っていることが多いが、今年は晴れでこの日を迎え、期待して、我が家の屋上に向かったが、雲が厚く、天の川はやはり見えなかった。暫く、周りの夜景も楽しみつつ待つが、今日も天の川は拝めそうにない。ひょっとしたら、あれがベガで、あれがアルタイルなどと思ってもみた。天文学の知識は皆無に等しいので、諦めてしまった。
 七夕伝説を辿ってみると、こと座の1等星ベガは、中国・日本では織姫星織女星)として知られている。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名があるらしい。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている(Wikipediaより)。
 なんとも、悲しい七夕伝説であるのだが、中国はいざ知らず、日本の場合は季節柄、なかなか出会うことができないのではないのかと思う。一年に一回という期待だけ持たされ、その実、雨が多い季節なので、仄かな期待は裏切られる。なんとも、残酷な天帝の仕打ち。
 しかし、逢いたい人になかなか逢えない生活というのも、また素晴らしいのかなとも思えた。今の世の中、逢いたいと思えば、地球の裏側だろうと概ね一日あれば、訪ねていける。話したいと思えば、携帯電話がある。手紙を書きたいと思えば、到着まで数日待つこともない。即時、メールが繋がっている。便利だが、人と人との結びつきに、時間と思いを籠めた昔の方が、遥かに中味は濃かったのではないだろうか。これだけ、便利になってしまうと、手軽であるが故に、人と人との結びつきが軽いものになっているのではないか、と危惧している。
 若い頃、1歳になった息子と妻を残して、ドイツに旅立ったことがあった。会社の発令により、約一年間トレイニーとして、語学を含めた勉強をするためだったのだが、歩き始めたばかりの、可愛い盛りの息子を残し、異国に一人生活するのは辛かった。会社のルールでは原則単身赴任。完全にドイツ人、ドイツ語の世界に漬かれ、というのが命令だった。但し、半年経ったら、家族を自費で招いていい、という何ともはや厳しい(せこい)ルールだった。現地で知り合った欧米人からは、何とも非人間的なルールだと、みんな憤慨してくれた。後年、このルールは無くなり、家族帯同が認められた。
 妻から来る手紙は4日かかる。しかし、度々来る手紙が楽しみであった。電話をかけると、すぐ5マルク(400円)かかってしまうので、常に長電しないように公衆電話から偶にかけたものだった。妻が送ってきた息子の声のテープが嬉しく、何度も繰り返し聴いたものだった。この不便さ故に、一つ一つの行為に対しての有難さが、とても濃かったように思う。けっして、便利になるばかりが、いいのではないと思う。私も一時ではあるが、織姫・彦星体験をしたことがあるのである。