神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

Sさんの通夜にて

macky-jun2009-05-25

 昨晩は銀行の大先輩であるSさんのお通夜に行ってきた。また、あの不動前にある桐ケ谷斉場である。昨年9月に中学同級生のゲッタを送った斉場だった。そして会場もまったく同じ場所であった。あの日、私は受付係をしていた。この場所に決して来たくはないのだが、何故か来る機会が増えている。
 Sさんは65歳だった。亡くなるにはまだ若い年齢で、連絡を受けた時は驚いたものだった。何しろ元気を絵にかいたような、豪快な人だったからだ。大酒飲みだったのでてっきり肝臓癌だろうと思っていたが、膵臓癌とのことだった。銀行のOBということもあり、多くの先輩達が列席されていた。昔の上司も、かつての職場仲間も多かった。Sさんとは私の初任店である新潟支店で、約4年間ご一緒させて頂いた。発令も同じで、Sさんは本店の中枢部である業務部の調整役という肝のポジションに帰り、私はドイツへのトレイニーに旅立った。
 当時の新潟支店の仲間12人で、駅前の焼き鳥屋に入り、Sさんを偲び、酒を飲んだ。みんなと会うのも久しぶりだった。新潟の独身寮は1〜5年生までの新卒組と途中から来た法王と呼ばれたEさんらで構成された10人くらいの小さな寮だった。1年違えば、天と地も違う、超封建制の社会だった。新人に人格は認められなかった。そんな古い、乱暴だけど、懐かしい、いい時代だった。その仲間がいまはみんなアラフィフ世代となり、白髪まじりか禿頭のオジサンになってしまった。
 若い一時代、同じ寮に寝泊まりして、仕事を覚えた。青春時代の不安定な時期を共に過ごした、かけがいのない仲間である。だけど、今はそれぞれの生活、仕事上のポジションがあり、みんなバラバラである。元より、バラバラである者たちが、ある時期たまたま一緒になっただけというのが正しい表現かもしれない。だから、妙な感傷は無用である。次に気がつく時は、自分自身が送られる立場になっているかもしれない。