神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「21世紀中年」たちの万博展

macky-jun2009-02-09

 昨日は午前中ジムに行き、いったん家に戻り、上野の国立科学博物館で行われている特別展「1970年大阪万博の軌跡」に行ってきた。先週、新年会で龍ちゃんから貰った招待券で、その会にいた中学の仲間の内、4名が集まった。会場は最終日(1/22〜2/8開催)とあって、いっぱいで盛り上がっていた。僕ら周りかその上の年配の男女ばかりで、共通の思い出に盛り上がる同窓会のようだ、と聞いてきたが、意外にも若い人が結構入っていた。
 何でも、若い人たちには、あの高度成長期の真ん中で行われた国民的な熱狂が珍しく、興味がそそられるらしい。確かに今の若者にとっては、物心ついた頃はバブルも弾けて、日本経済もずっと下降線を辿ってきた。だから、一直線にどこまでも高みに登って行くと思えた、あの時代が想像もつかず、興味を持つのではないだろうか。
 動く歩道も、ロボット文楽人形も、まったく今では珍しく感じようはずもないが、当時のパビリオンはどれも個性的かつ斬新なデザインであり、今見てもけっして古くさくは感じない。特になんと言っても、岡本太郎作の”太陽の塔”である。大阪万博のシンボルタワーであるが、そのデザインと迫力、アクの強さは他を圧倒している。いまの若い人たちに、岡本太郎はとても人気があるらしい。「芸術は爆発だ」と叫んでいたTV-CMを思い出すが、岡本はあの塔にどんな思いを籠めたのだろうか。
 会場入口ではコンパニオンの制服を着たマネキンが迎えてくれる。昔の懐かしい展示物に、記録映像、各パビリオンがミニチュアで飾られている。日本館に展示された巨大なタペストリーもあった。当時の音声が会場を流れ、気分はすっかり1970年にタイムスリップだ。当時、6000万人が足を運び、1970/3〜9の半年間開催された。一日の最高入場者は9/5で80万人を超えたらしいから驚きだ。私も家族5人で、大阪の親戚の家に2泊し、万博には2日間通った。オーストラリア館とソ連館に入ったのは覚えているが、あとは忘れてしまった。実家に当時のガイドブックが残っているので、今度見に行こう。そうすれば思い出すことだろう。
 会場には万博関連商品を扱う中古雑貨屋「EXPO」が出店しており、黒山の人だかりだった。そこで面白い物を発見した。親父が勤めていた銀行が店頭頒布品として出していた、太陽の塔のビニール貯金箱である。当然、我が家にもあったのだが、これになんと18千円の値段が付いていたのだ。あの我が家にあった太陽の塔貯金箱、どうしたかな?
 会場出口には、「20世紀少年」の展示コーナーがあった。ともだちの人形があり、記念撮影をした。我々がこの日集まったのも、「20世紀少年」がベースとなって、万博の話に発展していった。我々50代の者にとっては、1970年はかけがえのない輝く時代だった。
 この日は、龍ちゃんの車に乗って、神楽坂に移動し、風の強いとても寒い日だったが、おでんで暖まり、時間空間を飛び越えた世界を楽しんだのだった。