神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

同窓会考

macky-jun2008-11-17

 昨日は土曜の晩の酒が残り、二日酔いの状態で一日中ボーッとしていた(そうでなくても大概ボーッとしているのだけど)が、流石に夜はビール1本の晩酌に抑え(こんな状態でも飲むんだ)、それ以上は飲まなかった。久し振りに酒を抜いたせいか(完全には抜いていないんだけどね)、今日は朝から心なしか頭がすっきりし、解脱したような気分だった(いつも頭はボケているみたいだな?)。ちなみに( )は自分の心の声です。
 土曜の同級生との飲み会のいい余韻が残っており、せつない感傷的な気分(?)が自分を支配している。昨日はマフラー事件のこともあり、持ち主捜索でメンバーみんなとメールのやり取りを頻繁に行なった。今日、Yさんのモノだと、メールを頂き、判明した(結局、僕のその後の行動の軌跡までは判らなかった)。しかし、中学の仲間と地元で会い、同窓会特有のこの後ろ髪を引かれる気持(?)は何だろうか。自分の中学時代に何か忘れ物をしたからだろうか(昨日は他人の忘れ物を持ち帰ってしまったけど)?それは思慕の思い(何に対する?)か?そこに皆、今も住んでいるわけでなく、いろいろな土地に散らばって住んでいるのに。それぞれに家庭と、仕事を持ち、日々の課題と格闘している。皆それぞれに別々の生き方を一生懸命やっているな、というのが会話の節々で感じられ、嬉しくなるし、励まされもする。たまたま3年間を、この地で一緒の学校に通っていただけなのに、唯それだけの関係なのに、不思議である。こんな風に思っているのは俺だけだろうか?
龍ちゃんが前に言っていたが、「タイムリープすると翌週元気になる」って。当時の仲間と会っているうちに、30数年遡って、10代の青い(悪ガキの)中学時代に戻ることで、何か体や脳に当時の忘れかけた因子がまた活動しだすのではないか、と(全く科学的な裏付けのない文系人間の思いつきですが)思うのである。それが我々を感傷的な気分にさせたり、浮き浮きさせたりするのではないか。ならば、頻繁に同窓会のような集まりをしたらいいのではないかとも思う。まあ、感じ方は人それぞれだから、そう思う人だけ集まればいいのだろうか。
函南のF先生と長野の両親から送ってもらった柿です。そういえば、中学生の時に仲間数人で、公園の隣の家の柿をほんの悪戯心で頂戴して、Y先生とそのお宅に謝りに行ったことがありました。柿を食べる度に、そのことを思い出します。