神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

友の死(続)

macky-jun2008-09-01

  中学の同窓生T君のお通夜に行ってきた。彼は皆からゲッタと呼ばれて愛されていた。中学時代はテニス部のキャプテンをしていた。同窓会にもマメに出ていたし、何より謙虚な性格で、人望も厚かった。同窓生も男女問わずたくさん来ていた。彼の人柄を表わすものだ。小生は受付の香典のチェックと計算係を仰せつかり、H君や龍ちゃんと専ら弔問客には背を向けて、役割を全うしたのだった。受付応対はMさんとKさんが担当した。同窓生が来ているなという気配のみ感じていた。
 28日夜に友人から相次いでメールが入り、あまりにも早い旅立ちに驚いてしまった。小生が彼の病を知ったのは6/14だった。奥さまが5月までは普通に元気だったと言われていた。突然のことでさぞ驚かれたようだ。肺がんだったのに、下部で気管から遠かったため、咳も出ず全く症状は無かったらしい。だけど、発見して間もなく、既に転移してしまっており、腕がなにかで手を突いた折に折れてしまったという具合に進行してしまっていたようだ。病と最期まで闘って、治療開始後わずか2ヶ月半で足早に逝ってしまった。
 ゲッタとは去年は7月に中学ミニ同級会で会い、年末に中目黒で忘年会で会った。最近になって会う機会が多かったので、彼の急逝は今もって信じられない思いだ。
 死とは必ず誰しも迎えるものであるし、決して恐いものでもない。仏教的な考え方によれば、人間は死に向かって生きている。どう死んでいくかということが大事なのだろう。つまり、どう生きたかということでもある。
 死に至る原因は病、事故等いろいろあろう。だけど、天命と考えれば、いつ何どき迎えが来てもおかしくない。ある日、突然かもしれない。その時にすんなりと受け入れられる心の準備が出来ているかどうか。じたばたせず、そうかその時が来たかと、清々しく受け止められるだろうか。できれば、そんな見事な死にざま、最期を迎えたい。人によって、役割や運命というものが定められているとしたら、その生かされているという期間を精一杯生きていくしかないのだろう。
 ゲッタにとっては、こんなに早くその時を迎えてしまって、さぞ慌てたことだろう。まだ中高生のお子さんたちを残して心配だっただろう。まだまだやりたいことはいっぱいあったに違いない。だけど、こんなに多くの友人たちに送られて、ゲッタの生涯は幸せだったのだなあと、羨ましく思ってしまった。
 ゲッタのご冥福をお祈りしたい。