神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

第2の人生

macky-jun2008-08-27

  銀行同期のN君が訪ねてきた。いま、彼は銀行の先輩が創った再生ファンド会社にいる。銀行を辞めてから数年経つが、その間2つの銀行を渡り歩き、その後海外留学し、しかも何故かハーバードの行政大学院のような所に行き、政治家にでもなるのかと思っていたが、某大手金融会社を経て、現職と目まぐるしく変わっている。お子さんがいない気楽さもあるに違いない。気さくな奴でたまに飲んでいる。銀行に残っている奴よりはよっぽど会っている。銀行を退職した同期の仲間同士はわりあい集まっており、よっぽど僕ら残った者より情報通だ。
 会社に入り、26年余。もう充分銀行勤め、金融機関勤めはやった。ぼちぼち第2の人生を模索してよいと思う。自分の好きだったこと、やりたかったこと、本当に向いていること、所謂天職というものはもっと別のことだったかもしれない。
 銀行を既に去った奴も多いが、50歳を迎えたいま、今後1〜2年で去っていく同期も多くなるだろう。既に第2の人生に飛びこんでいる奴もいるけど、いずれにしろ、みんな第2の人生を歩むわけだ。俺自身は一度も転職というものを経験しなかったが、会社が無くなり、必然的に組織は変わった。また、異動により、身を置く組織も変わったし、仕事の内容もその都度変わった。そういう意味では自ら、仕事や会社を変えたことはなかったが、会社に従い、コロコロ変わったので飽きがこず、ここまで何とかやっている。だいたいにおいて、俺は飽きっぽい性格だと思ったから、銀行を選んだということもある。商社で一生、鉄をやれ、セメントをやれと決めつけられるのが嫌で、常にビジネス対象が変わる銀行を職業として選んだ。
 だけど、5年前にいまの仕事であるキャピタリストをプロ職という職系の変更で選んだのは、自分自身の意思によるものである。すなわち、この時、銀行員を廃業して、キャピタリストとして生きていく道を選んだ。俺にとっては第2の人生は、金融業というジャンルでは同じだが、プロのキャピタリストということになる。この先、ひょっとしたら第3、第4の人生があるかもしれない。だけど、暫くは足元の仕事を深堀しつつ、成長していきたいと思っている。
 写真は本文内容とまったく関係ありませんが、先般の夏休みに登った四阿山の頂きです。