神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「ゆとり教育」難民の大量生産

macky-jun2008-07-11

  証券外務員試験が終わって、初めての休みでとても開放感に満ちた気分でいる。ストイックなストレス状態から弛緩していくのはとても気持ちいい。だけどいつも弛緩しているのは必ずしも気持ち良くないので、あくまでもストレスがあるからいまの状態を楽しめるのだろう。人にとって適度なストレス・困難・障害・関門・ハードル・壁・・・という言葉で表わされるものは必要だ。そうしたものと格闘しながら、それを超えるところに、達成感が生まれるし、自信となるのだろう。
 たかだか一週間程度の勉強期間というのは大したストイック期間ではない。だけど、申込をした時点で心のどこかに試験が控えているなという重いものがあり、そこから解放されたので、心理的にはもう少し軽いストレスを長い期間感じていたようだ。たかが証券外務員試験でも、これだけの開放感を感じられるので、大学受験や司法試験受験という手強い試験であれば、それだけ開放感は大きいのだろう。
 「ゆとり教育」というのがいま大きく見直されることとなった。「ゆとり教育」というのは、かつて学校が荒れた時代に、原因として受験競争が問題視され、文部省が1980年代から進めてきた教育理念で、ゆとりを大事にし、生徒一人一人の個性を尊重し、無駄な詰め込み教育をやめようとするものである。大幅に指導内容を削減し、授業時間は減り、教科書は薄っぺらなものになった。「考える時間」というのを増やし、競争を排除しようとした。その結果、何が起きたかと言えば、学力不足で大学の授業についていけない若者が増えているという。競争意識を失い、意欲のない、快楽のみを追いかける若者を大量生産してしまった。
 受験競争は収まるどころか、別の形で更に激化するようになった。「ゆとり教育」を実践する公立学校には任せられないと考える親は、子供を早くから進学塾に通わせ、私学受験をするようになった。場所を替え、受験競争は残ったのだった。受験競争に参加しない子供達には「ゆとり教育」で何も教えて貰えないから、ますます学力は二極化することとなった。本当に文部省というのは馬鹿だねえ。理想とか理念が先行し過ぎて、現実が見えていない。「徒競争で手をつないでゴールする」とか「円周率は3.14でなく、3として覚える」とか愚かな例は枚挙に遑がない。
 いずれ社会に出たら、いろいろな形で競争を強いられることになる。子供には早くから競争というものを肌で分からせた方がいい。「ゆとり教育」で競争原理に慣らされていない若者が、いきなり競争社会に突き落とされ、不適応を起こしているのではないだろうか。競争を排除していたかのような「ゆとり教育」の学校生活からぬけ出したら、いきなり「勝ち組」だ「負け組」だと粗雑な二分法で、これまた馬鹿なマスコミが煽る。秋葉原の事件や最近の若者犯罪が「ゆとり教育」と無縁でないような気がしてならない。
 私は競争というものは現実にあるものなので、早い段階からその競争社会に馴染ませるべきだと考える。学校生活での競争の種目はたくさんある。もちろん勉強ばかりではない。スポーツ・部活動・音楽・美術・・・恋愛。一つの競争に負けて、悔しくて砂をかむ思いもするだろう。だけど別の種目で勝てるかもしれない。バンド演奏でヒーローになれるかもしれない。人を笑わせることでクラスのNo.1になれるかもしれない。多様な競争体験の中で、自分を発見するし、得意なジャンルを見つけることが出来る。それが将来の自分の職業に繋がるかもしれない。大いに競争はすべしと、反「ゆとり教育」派の私としては声を大にしたい。競争のストレスを味わい、そこから開放された時の(今日私が味わっているような)快感を味わって欲しいと願う。