神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

マイヤ・プリセツカヤ「瀕死の白鳥」の思い出

macky-jun2008-06-29

  今日は朝からずっと雨が降っている。梅雨本番だからしょうがない。日曜の午前中はいつも通りジム通い。エアロウォークで思う存分汗を流す。昨日買ったばかりの即乾性のノースリーブ・サーファータイプのシャツが気持ちいい。木曜日もハイローコンボのレッスンに出た。まるで、ここはあるダンスカンパニーのレッスン場で、みんないろいろな所から集まってレッスンをしているダンサーの集団だという錯覚に捉われた。こんなことを書くと笑われると思うが、ダンスやバレエが好きである。もっと、手足が長ければ、体が柔らかければ、マジでコンテンポラリーダンスやバレエをやっていたのにと思う。叶うはずもない夢のようなことを言っている。舞踊家になりたかった。
 音楽に合わせ、体を動かしていると、エクスタシーを感じる。特に最近は速い、難しい動きが面白い。バレエ鑑賞歴は長いが、バレエのレッスンは全く受けたことがないし、精々フィットネスクラブのスタジオレッスンに出ている程度だから、そんなことを言うのは勘違いも甚だしいのだ。だけど、古今東西、原始の時代も未開の民族の集落でも、音楽と踊りと酒はつきものである。人間は根っから音楽に合わせ、踊りたくなるようにできているのではないかと思えるのである。だから、舞踊は理屈ではなく、一種、体の生理的な欲求そのものなのだろう。
 今日も妻は一人で新国立劇場に酒井はなさん主演のバレエ「白鳥の湖」を観にいっている。最近はかなりの頻度で行っているようだ。次は英国ロイヤルバレエを観にいくようだ。小生もこれはと言われるプリマの公演はこれまで結構観てきた。パリ・オペラ座バレエのエトワールだった頃のモニク・ルディエールとパトリック・デュポンの「ジぜル」は最高だった。ルディエールの嗚咽が聞こえるステージには魅了された。いくつになっても可憐な小娘を演じられる。そういう女性に出会いたい。あれ以上の「ジぜル」にはその後お目にかかれない。パリ・オペラ座バレエ/英国ロイヤルバレエに在籍したシルヴィ・ギエムは足を手のように動かせる凄い人だった。現代最高のバレリーナと呼ばれるギエムについては小生が何か言うまでもない。ニーナ・アナニアシヴィリはグランフェッテ・アントールナンの32回転で、オケのスピードを速めて、高速回転をしていた体育会系のバレリーナだった。一時、小生はシヴィちゃんには結構嵌まっていた。今は歳と共に情緒を重視した演技に変わっているという。グルジアバレエ団の監督をもやっており、すっかり円熟されたようだ。
 結婚したばかりの頃、当時住んでいた新潟にマイヤ・プリセツカヤがやって来た。今、観ないとプリセツカヤのバレエは二度と観れなくなるかもしれないとお互いに言いつつ、会場の新潟県民ホールに二人で出かけた。当時、プリセツカヤは61歳。彼女の踊ったサン・サーンスの「瀕死の白鳥」は素晴らしかった。どう素晴らしかったかというと、普通、拍手喝采やブラボーコールが起きるのだが、その時の聴衆の反応はザワザワ〜と、皆驚いて声が出ないという様子だった。舞台上に一羽の白鳥がいた。プリセツカヤが白鳥そのものに見えたのだった。しかも「瀕死の白鳥」なので、まさに死に絶える前の壮絶な様子を演じていた。「凄いものを観てしまった」というのが率直な感想だった。ザワザワ〜という皆の反応はまさにそういうことだったのではないかと思っている。そのマイヤ・プリセツカヤは1925年生まれだから、今年83歳になる筈だが、我々の予想も見事に外れ、いまだに現役を続けている。
 この方のサイトでマイヤ・プリセツカヤ「瀕死の白鳥」が動画で観れます。(写真は2006年の最近のプリセツカヤです。80歳を超えている筈なのにとってもそうは見えませんね。お若いですね。)http://sanmarie.enf.pl/dying_swan