神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

梅雨の合間に時間旅行

macky-jun2008-06-10

 本日は梅雨の合間のど快晴で夏並な天気でした。先般の清水佑三さんのお別れの会の席上で、旧知のAさんとYさんと今度清水さんを偲んで一献傾けますか、という小生の提案で、ならばゴルフでもやりましょう、ということとなり、平日休暇を取り、八王子の武蔵野GCでプレイということとなった。
 6時過ぎにAさんが愛車BMW318で迎えに来て下さり、8:18の早いスタートで回ったので、2時前にはホールアウトしていた。天気は最高、メンバーにも恵まれ、最高のスコアが出る筈だったが、聞いてくれるな〜おっかさん!これだけ条件が整ったときほど、乱れるのが我がゴルフ。OBもチョロもよくやったし、球もよく無くした。ただ運動量だけは多かったと、お伝えしておきましょう。
 日曜日に「地下鉄(メトロ)に乗って」、昨日「時をかける少女」と期せずして、タイムスリップ映画を2本立て続けに観てしまった。既にみたことのある映画であるが、特に「地下鉄(メトロ)に乗って」は好きな作品であり、小生ブログ2/24に書いたことがある。時間と空間をタイムスリップしたような感覚にはたまに出会うことがある。例えば、昔の記憶にある場所に行った時、もしくは記憶のある世界に似た場所に遭遇した時である。また、自分の記憶の中にある人に出会った時である。同窓会などで久しぶりに会う仲間にはそんな感覚になってしまう。そのスリップ感が堪らずに出席するのかもしれない。その際に自分も確実に当時の自分にタイムスリップしているに違いないと思うのである。
 過去の積み重ねで現在があるので、たとえ時間旅行ができたからといって、決して現実は変えることはできない。自分の築いてきた現実は、あくまでも自分のこれまでの行動の結果であり、誰に対しても弁解のできるものではない。いっさい他人の責任ではない。そう考えて今後の人生に活かすべきかと思う。だけど、それも全て分った上で時間旅行ができるとしたらどうであろうか。
 2/24のブログで自分が発した質問「いつの時代に行ってみたいと思うだろうか。誰に会ってみたいと思うだろうか。また、会ってみたい自分はいつの頃の自分だろうか。」を思い出した。あまりにも無責任な質問である。自分自身に問うてみたが、なかなかその回答は難しい。いつの時代に行ってみたいか?は、そこでその時代の人として長く住むことになるのか、単に旅行者として通り過ぎるのかで大きく違う。どの時代が一番楽しいかは、どういう立場でその時代にいくかで愉快さも変わろう。一概に言えない。だけど、我々の生きた時代、戦後10年以上経って、ぼちぼち社会も落ち着き、東京オリンピックや万博のような大イベントを経て、高度経済成長時代で社会がガラッと変わって、生活も大きく変わった、こんな時代に生きた我々は、歴史的にある意味で面白い時代を生きたのではないか、という気がしている。
 誰に会ってみたかったか? とても難しい問いを発していたな、と思う。一人に限定すると絞れないけど、会って話してみたい、一緒に酒を飲みたいと思う人は何人か居そうだ。
 いつの頃の自分に会いたいか? たぶん青春時代の自分が情けなさそうなので、行ってしっかりアドバイスしてやりたい。「そんなに心配することはない。ドーンとぶつかっていけば、なすようになる。」と。
 妻からはもっと現実を見ろよ、と叱られそうですが、50年も折角生きてきたのだから、少しは過去も振り返ってみるのも、このタイミングでは許していただきたいな、と思う今日この頃です。