神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

大学ワンゲル部OB総会に出席して

macky-jun2008-06-07

 昨晩は大学WV部OB総会が銀座で開かれた。毎年この時期に開かれるが、上は60代半ばの先輩から10代の現役まで幅広い層の男女50数名が出席した。前半は総会で議事を採決し、後半は立食パーティーとなる。役員の承認、会計報告、現役の活動報告・予定、山小屋の今後の運営方針、来年度OB総会(創部50周年)等々について、いつも通り真面目に議論がなされていった。俺がこの会に出たのは3年振りだった。我が同期の出席はO君と俺の2名だけだった。O君が役員として孤軍奮闘されているので、いつも世話になっている立場から協力しなきゃと思ったこと、先般の山小屋行でアイデンティティを得るきっかけとなったことによる。
 来年、創部50年を迎える我が部は昭和38年卒の先輩達が初代で既に70歳にならんとしている。OBは通算で354名もおり、かつては20〜50名の現役部員を擁したが、近年は10名以下に低迷しており、2年前には部員数5名で、新人ゼロというまさに存続の危機を迎えていた。昨年5月にHome Coming Dayという行事が行われた際に、同期のA君、S君と部室を訪ね、「まだ、あったねえ〜」と喜び、ほっとしたものだった。ここ2年連続で、4名ずつ新人が入部し、12名となったこと。これで存続の危機はなんとか脱することができたか。可愛らしい2名の女性新人(1名留学生院生)が加わったことも報告しておこう。
 歴代の部員数、卒業生数、累計卒業者数をグラフ化してくれて、部の歴史がよくわかった。創部間近の昭和40年頃が、一番部員数が多く、50名位であった。当時、若者の間で登山ブームがあった。時間がシフトして、この年代は今も登山に熱い情熱を持っており、ちょうど今の中高年の登山ブームと被る年代である。次のピークが我々のいた昭和51〜57年位の年代で、40名前後の部員がいたのである。我々の同期57年卒業組は13名おり、これは43年卒業組と並んで多かったことを知った。以降、減り続け、いったん平成6〜10年頃、再び盛り返し30数名で同期10名の時代を迎えるが、以降はずっと減少の一途だった。
 今の若い人たち、ちょうど自分の子供達と同じ世代でよくわかるが、20〜40kgもの重いザックを背負って、しかも汗まみれなのに、何日も風呂に入れない(まるで軍隊の行進のような)縦走スタイルは好まれないのだろう。現に最近は山行のスタイルもガラッと変わり、縦走は無くなり、沢登りが主流で、合宿も殆ど日帰りか長くて2泊3日となっている。山スキーの春合宿など無くなってしまった。
 今から思えば、俺も何でこんなクラブ入ちゃったんだろうとも思った。もっと、楽ちんで女の子にもてるフリースポーツサークルのようなものもあったのにと、あとでボヤキもしたものだった。だけど、こうしてOB総会にも出て、山小屋にも行って、同期の仲間と相変わらず、山に登っているということはたぶん、それで良かったのだろうと、単純に思うのである。
 それにしても、平成13,14年頃は部員20名の内、半分が女性だったこともあったらしい。なんともはや、羨ましい。そもそも今や大学全体の半分が女子らしい。それもありうるか。だけど、よく風呂にも入れない汗まみれで、一つテントの生活に耐えられたね。まあ、そういう娘じゃないと入ってこないか。