神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

Hさんとの思い出

macky-jun2008-03-30

 ポルトガル・ファドのアマリア・ロドリゲスをBGMに、Old Parrをオンザロックでやりながら書いている。欧州でありながら民族的な香りがするのがとてもいい。かつて、七つの海を従えた国のたそがれ感が何ともいえず、力が抜けているんだけど、大人な感じが日曜の夜、一人、酒を飲みながら、聴くのにぴったりだ。スペイン、イタリアは訪れたことがあるけど、ポルトガルはまだない。いつか、行ってみたい国だ。
 明日で今年度は終了。火曜日から新しい年度が始まる。この時期、卒業、入学、入社、転退職、人事異動で、日本全国で大きく人が動く。桜の花を見ながら、感傷的な気分に浸る人も多いだろう。かつて自分もそうだった。
 先週、長年一緒に働かせて頂いたH常務が定年で退職された。Hさんとはこれまで3度職場を共にさせて頂いた。2,3年おきに異動が一般的な銀行という職場で、3回も一緒の職場で働くというのは極めて稀なことである。そもそもHさんと出会ったのは初めが今から22年前、私がまだ入行4年目の新潟支店においてだった。初めて役席になられたHさんが単身で張り切って赴任して来られた。彼が38歳、私が27歳の時だった。当時、旧行は各主要支店には審査室を設け、企業審査、マクロ調査を行なっていた。旧行は10年かけて行員を教育するというおおらかな時代にあり、支店審査というのは教育的な使命を帯びたポストだった。一般的に都銀では地方支店の位置づけがマイナーであるが、当時の旧行では明らかに違っていた。
 そこでは与信のための企業調査を行い、経営者とも若干入行3年目の若造が面談して、影響力を持っていた。県の設備投資動向調査結果を新聞社・テレビ放送局等10数人を集めて、発表し、翌日の紙面や画面を飾った。県・市のプロジェクト案件として新たな企業誘致促進策として、民間から官に対しテクノリース制度を提案し、県の制度として採用されたり、企業誘致のマーケティング調査を当時としては全行ベースでも珍しいFeeベースで受託したり、地銀や信組に審査研修を行ったり、Hさんと共にまさに八面六臂の活躍をした。そのご褒美が自分が希望したドイツへの1年間の語学トレイニーだったと思っている。当時の支店長からは「次に何処に行きたいか。俺が必ず叶えてやる。」とまで言って頂いた。
 Hさんとはゴルフやスキーもよく一緒に行った。息子が生まれた日も一緒だった。その後、二度目に出会ったのが、今から10年前、旧行のVC会社でHさんが専務としてやってきた。三度目が今の会社で、今度は私が迎えられた立場だった。通算でかれこれ10年はご一緒させて頂いたことになる。Hさんはシロクロの判断をはっきりと、しかも素早く付けてくれるので、極めて仕事がやり易かった。曖昧さがない人だった。割り切りもいい人で、時にもっと粘ってもと思うこともあった。
 元々、旧行のVC会社を立ち上げたメンバーで、自身でも担当として約20件の投資を実行され、役員になってからも誰よりも、会社や投資案件を数多く見て来られたので、細部までよく分かっておられる。90年以降、途中抜けたが10数年、この業界を見続けてこられた。VCや新興市場の成り立ち・変遷、ベンチャー企業の盛衰がよく分かっておられるので、絶妙な投資判断にはいつも感心させられた。私も若いころから薫陶を受けてきたので、投資判断においてはHさんと殆ど、判断は一緒だった。
 今後はこれまでの経験を生かされ、企業再生の世界で経営者を指南していく役割につかれるとのこと。益々のご活躍を祈念いたします。
 写真は昨日とは逆の市ヶ谷側の新見附橋から、本日撮ったものです。満開の桜が綺麗でした。此処から望む外堀が一番だと思います。携帯だけどまあまあよく写っているでしょう。