神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

別れは突然に(2)

macky-jun2014-02-24

 武蔵野赤十字病院に移り、兄弟家族も集まってきた。この晩、医師から診療の途中経過報告を3回受ける。今晩がヤマだと言われる。代表で私一人が残り、病院に泊まることにする。深夜12:30にICUにて面会許可が出る。意識はあった。家族仮眠室で宿泊、北側の部屋で雪も降っており寒かった。何時呼ばれるか気が気でなかった。2〜3時間はウトウトできただろうか。翌朝、7:50に面会できた。昨晩よりも目はパッチリと開き、アイコンタクトができた。「(母の)実家近くの武蔵境の病院に来たよ」の私の言葉も理解し、うなずき、何かしゃべろうとする。母の母、私の祖母も入院したことのある病院であり、ICUだった。心拍数、血圧、呼吸などの数値は安定した。内視鏡検査をしたが依然出血原因は不明。ホッとしていったん帰宅。
 夕方6時過ぎに再訪。弟が父を車椅子に乗せ、やって来る。意識もしっかりして数値も安定と医師が説明。動脈の点滴3本が抜かれ、明日、人工呼吸器もぬく予定との説明。安堵し帰りにハルクのデパ地下で買った刺身で、心の中で秘かにホッとし祝杯をあげる。しかし、その深夜3:06に無情にも携帯電話が鳴った。病院からだった。「容態が急変したので至急来てほしい。心臓が停止し人工マッサージを今やっている」とのこと。安定したと言われたばかりだったのに、何故?と半泣きしながら、妻の運転する車に乗り込んだ。わずか40分で到着。
 マッサージの効果あり、心臓はまた動き出し、一命取り留める。しかしながら、この後、母の意識は戻らず、あらゆる高度な検査を行ったものの、出血原因は特定できず。この朝の母の寝顔がやけに静かで、苦しんでいる様子などなく印象的だった。後に妻が語っていたが「この時点で義母さんの魂は抜けていたのではないか」
 この後に東京には2/8と2/14〜15と都心で27cmも積もるという記録的な大雪が降った。雪の中、皆が交代で見舞いに通ったものの、その甲斐もなく、母は2/16の夜に息を引き取った。最後まで出血原因についてはわからなかったが、全身から出血をしたのだろう。意識を失って既に10日、心臓停止時に脳梗塞も引き起こしており、もはや回復不可能との医師の判断だった。既に父や兄弟、母の長姉とも話し、大量輸血や人工マッサージなどの更なる延命治療はしてくれないよう医師には依頼していた。
 今後、雪が降るたびに母のことを思い出すことだろう。ちょっと前まで元気だった母が突然倒れ、13日間のICUでの治療の甲斐なく、あっさりと逝ってしまった。もっと母と一緒に居たかった。もっといろいろな話をしたかった。しかし、晩年の母は認知症が進行し、まともな会話はできなかった。突然のことのようだが、認知症故に伝わらない体の不調などあったかもしれない。82歳で母は人生を閉じることとなったが、みんなに見送られ、ある意味”ぴんぴんころり”であったので、幸せな生涯であったと言えるかもしれない。そんな思いが自分を慰めてくれる。