神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

松本・聖高原紀行

macky-jun2009-08-22

  松本に出張したので、久々に妻の実家を訪ねることにした。仕事を終え、17:35発の篠ノ井線に乗り、5駅先の聖高原駅で降り、ここで列車の到着を待ち構えたバスに乗り込む。乗客はなんと私ひとりのみ。穴水という終点停留所に両親が迎えに来てくれることになっている。雨がだんだん強くなってきた。
 妻の実家に行ったのは1年ぶりだった。この連休は家族はみな車で行ったが、私だけ家に残ったのだった。義父がご機嫌で、二人でかなりの量の酒を空けた。義父は小学校の校長先生をやっていたので、長野県中を転々と異動したのだった。定年後、生まれ故郷の大岡村に住むことになり、公民館長兼郷土歴史資料館長を10年間務めた。教員としても上り詰める所まで上り、最後は趣味とも言えるような役職につき、とても恵まれた人生を歩んだ人だ。この日は義父が欧州に視察旅行に1カ月行った時の話や我々の結婚式の時の話で盛り上がった。酒が進み、案の定、私は11時頃そのまま寝入ってしまったようだった。流石に高原は涼しく、ぐっすり眠ることができ、9時半までたっぷり寝たのだった。駅まで車で両親が送り、見送ってくれた。
 松本で下車し、折角なので市内を歩いてみた。松本の気温は34℃と高かったが、カラッとしており、歩いてもそれほど汗をかかない。この街にはいろいろな思い出があって、私が高校生の頃、父が単身赴任をしていた関係で、何度も訪れたことがあった。また、大学の時はワンゲル部に所属していたので、北アルプスの登山基地として何度も来ている。懐かしい街を歩き、女鳥羽川の畔にあった父が支店長をしていた銀行の支店はもうなくなっていたが、松本城に通じる大名通りを歩き、城を眺め、昔住んでいた家を探すが、もはや無く、日本最古の学校と言われる開智学校を観て、市内を約4kmも歩く。暑い中を二日酔いで気持ち悪いのに、自分ながらに元気だなと感心してしまった。ノスタルジーというのは人間を元気にしてくれる源のようだ。
 帰りはスーパーあずさ号というものの、2時間45分もかかり、新宿まで帰る。車中では専ら、浅田次郎の「輪違屋糸里」を読む。中央本線自体も長野・山梨の高原地帯を走るので、高原列車である。私の生まれ故郷でもある大月も通るので、とてもセンチメンタルな気分になれる列車だ。わずか1泊の小旅行ではあるが、なかなか中味の濃い、充実した旅であった。