神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

GW春スキーの思い出

macky-jun2009-05-02

 今日からGWの5連休である。私を除く家族3人は今朝早く4:30AMに、妻の実家の長野に向けて旅立った。レンタカーのプリウスを借りてきて、免許を取ったばかりの娘が運転を楽しみにしている。高速が1000円で乗れるようになったので、ETCカードも申し込んだ。渋滞は通常の2倍と予想されている。いったいどんな感じだろうか。
 ということで、渋滞が嫌いな小生は、デグーのラッシュ君と留守番となった。今日は日頃読めなかった本を、家に籠って読むことにした。たまには一人というのは実に気楽なものである。何をするのも自由で、誰に気兼ねすることもない。独身者が増えているというが、マイペースな生活スタイルを確立してしまった人にとっては、結婚とか家族を持つことは煩わしいのかもしれない。
 以前はGWには、家族で志賀高原に春スキーに行くのを常にしていた。蓮池の近く、ジャイアントスキー場のすぐ脇に、会社の保養所があった。そこをGWの時期には常宿としていた。以前と言っても、もう10年以上も前のことになる。銀行に公的資金が入った際に、保養所は全て売却してしまったのだった。他にも那須高原、福島磐梯高原、菅平、木曽駒、車山高原の保養所は、スキー拠点としてよく使ったものだった。箱根仙石原、伊豆逢の浜にもあり、こちらは夏のリゾート用として利用した。
 志賀高原はいくつかの小さなスキー場が有機的に繋がっている。ジャイアントを起点にして、西館山、東館山、発哺ブナ平、高天原、タンネの森、一之瀬、寺子屋といったスキー場をスキーサーカスと称して、転々と移動して滑るのが楽しかった。娘のSaoが1歳の頃から、ダッコして滑っていたのだから、今からすれば驚きだ。愛車パジェロに乗って、映画「私をスキーに連れてって」で当時ブームとなった焼額山や、皇太子殿下夫妻がお好きな奥志賀高原にも、よく行った。息子はGAPがボコボコのモーグルコースがとても好きで、この奥志賀のコースを喜んで滑っていた。野生のニホンザルやオコジョも沢山生息しており、よく見かけることができた。
 毎年、通っていたので志賀高原のコースは隅から隅まで知っている。いつも、大渋滞に巻き込まれながらも、通い続けた。12時間もかかって、東京に帰ってきたこともあった。この頃が懐かしいが、子供が小さい時分に十分遊んだ気がしたので、いままた同じように行きたいとは、もはや思わない。もう渋滞に耐えるだけの根気は持ち合わせていないし、パジェロは4年前に手離してしまった。子供2人も既に成人した大人だ。だから、最近のGWは閑散とした都心の街を静かに愉しむことにしている。