神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

金メダリストの共通点

macky-jun2008-08-14

 8/8から始まった北京オリンピックが熱い。人一倍オリンピックが好きな方だと思っている。過去のオリンピックの時も、毎回8月に開催されることが多いため、夏休みをぶつけて、専らテレビ観戦を楽しんできた。前回はアテネで、夕方から朝方の時間帯にかけて行われたので、予めHDDレコーダーを購入し、備えた。今回は時差が1時間しかないため、殆どの試合が日中から夜で、業務時間にもろ重なってしまう。ならばこの期間、いっそのこと休んでしまおうかと考え、たまたま5年に1回のリフレッシュ休暇があるので、それを使い、2週間連続の休暇としたのだった。安上がりで、自分的にはとても効用極大化できる休暇の過ごし方であると思う。
 前半4日は長野の旅に出ていたので、十分観戦できないこともあったが、聖高原の実家ではずっとテレビを観ていた。一昨日の晩に帰って来てからも、またずっと観ている。オリンピック一色で、殆どそれ以外のことはやっていない。というか手がつかない程、集中してしまっている。
 毎日、日替わりのヒーロー・ヒロインが誕生している。いろいろなドラマが誕生している。こんなに面白いものはそうそうない。世界中の面白さがこの2週間に凝縮されているようだ。既に金メダリスト4人(内柴、北島2、谷本、上野)が誕生しているが、いずれもアテネオリンピックからの連覇という偉業を達成した選手たちだ。4年に1回しかチャンスがないオリンピックの舞台で世界No.1になるというのは大変なことだし、まして4年後にまた実現するというのは並大抵なことではない。
 北島康介に至っては100mと200mの平泳ぎの2冠で連覇を達成した神業だ。既に史上最高のブレスト・スウィマーと呼ばれているらしい。その彼もアテネ後の4年間は決して順風満帆ではなかった。日本国内の大会でも3位・4位に留まり、勝てないことが続いた。北島はもはや限界だという声も聞こえた。世界でもアメリカの宿敵ハンセンにこの間は一度も勝てなかった。しかしである。200mでは国内予選を勝ち上がれなかったハンセンに比べ、北島は最高の調子に持ってきて、6月には200mでハンセンの持つ世界記録を1秒近くも更新した。100mでは北島のレース運びの巧さが光った。世界新だった。今日の200mでは敵なしのレースで2位に1秒以上も引き離した王者の泳ぎだった。
 柔道男子66kg級の内柴正人は前回も意外性のある金メダルと言われた。この4年間国際試合ではまったく勝てなかったことから、今回は予想誌には「一時の不調は脱しつつあるものの、明らかに力は落ちており過大な期待はできない。評価は「メダル期待」にとどめる。」との酷評だった。それがである。向かって行く柔道で、不振の男子柔道での唯一のメダル、しかも色は金色のメダルである。
 女子63kg級の谷本歩実アテネでは華々しく全試合一本勝ちで金メダルに輝いた。しかし、その谷本もこの4年間は茨の道だった。腰を痛め、一時期は歩くのも儘ならないほどで、引退さえ考えたこともあったという。国際試合ばかりか国内試合でも勝てない日々が続いた。嘉納杯、選抜体重別選手権では決勝で上野雅恵の妹順恵に負け、「負け代表」となったが、国際試合での実績が買われ北京代表となった不安だらけの代表選考だった。その谷本がまたやってくれた。今回も全試合一本勝ちというおまけつきで金メダルに輝いた。スタイルは立ち技ばかりに拘らず、寝技での一本勝ちを巧く拾っていった。そして決勝はあの派手な返し技での見事な一本だった。
 女子70kg級の上野雅恵アテネ後にモチベーションが下がったのか、国際大会でも1回戦負けをすることもあり、気の抜けたような試合を続けていた。やはり迷いを持っていたようだが、08/2のフランス国際あたりから復調の兆しがあり、選抜体重別選手権では谷本同様に「負け代表」となった。しかし、さすがに本番にベストに持ってくるところは凄く、試合はまったく危なげなかった。安心して見ていられる王者の闘いだった。
 4人の金メダリストに共通するのは、アテネオリンピックでの勝利後にいったん目標を失い、モチベーションを落としていることである。選手として終わったと思われた人もいた。だけど、しっかりと北京に合わせ、ベストに持ってきて、本番でも再び力を発揮し、栄光を手にしたことである。今回の金メダリスト4人はとても面白い事例であると思う。
 写真は先般行ってきた善光寺の写真です。北京オリンピックの日本国内での聖火リレーはここからスタートする予定でしたが、例のチベット騒動の問題で場所を少し移してスタートしました。