神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

大雨の日に黒部源流を思い出す

macky-jun2008-08-05

 今日は突然スコールのような雨が降ってきて、折り畳みの傘は持っていたものの、すっかりビショビショになってしまった。3時前に取引先の社長を訪ねる用事があったので、四谷三丁目の駅を降りたのだが、霞ヶ関を出た時は小降りだった雨が、猛烈な勢いで叩きつける様に降っていたのだった。多くの人はすぐ飛びだしたりはせず、雨宿りをしていたが、約束がある手前、いつ収まる見通しもつかなかったので、大雨の中を歩きだした。程なく、靴はびしゃびしゃで、ズボンもグッショリ。おまけに今日履いていた靴は僕が持っている靴の中でも最も高価な新しいものだった。泣けてしまいます。
 ここ最近、夕立ちとは思えないような猛烈な雨が一日に数回降ります。いったいどうしてしまったのでしょうか。まったく、東南アジアで降るスコールのような局地的な雨です。連日続く蒸し暑さといい、日本はもはや温帯ではなく、亜熱帯性気候になってしまったのでしょうか。ビルが林立していることが、山岳特有の変わり易い気候のようになったということを言う人もいます。風の流れや空気の蒸発、ひいては雲の形成への影響があるのかもしれません。それにしても、雑司ヶ谷でマンホール工事をしていた人が5人も下水管で流されてしまったようです。なんとも惨たらしい事故ですが、ご無事であることを祈ります。
 その昔、学生時代の頃、天候の読み違えで大失敗をしたことがある。北アルプス黒部源流を遡行することを目的として、薬師岳から北アルプス入りした我々のパーティー7名はベースキャンプを張り、メインの赤木沢の沢登りを行なった。出発時点では雨が降っていなかったが、やがてパラパラと小降りの雨が降り出した。幾つかの滝を登り、草つきをトラバースし、無事、黒部源流となる沢の上部まで達した。普通の登山者は入らない場所でもあり、岩肌が赤やオレンジやとても綺麗な色で、高山植物も咲き乱れ、まさに天国のような桃源郷だった。ここまではとても好かったのだが、下山を始めると雨はだんだん強くなってきて、道を雨水が流れるようになってきた。なんとなく嫌な不安が募ってきた。それでも下山を無事済ませたが、ベースキャンプに辿り着くには目の前の川を渡らなければならない。川は朝は小川と言っていい川だったが、既にゴウゴウと流れる恐ろしい急流に化していた。普通の天候の日であれば、水に浸かりながら渡ってしまうのだが、それは難しかった。河原を横に沿って登り、上流を登り詰めて、川幅が細くなったところを渡り、下ってくることにした。だんだん夕闇は迫っていた。早朝から歩きつづけてきたので、皆疲れていた。しかし、目の前の困難な状況で、気を緩める余裕さえなかった。戻って来るまでに、数時間はさらにかかるかもしれなかった。それまで、皆の体力が持つだろうか。この日仮に上手く行ったとしても、10日間の合宿のまだ序盤戦であり、その後、北アルプス裏銀座を縦走し、槍・穂高を縦走するという欲張った日程だったので、最後まで持つだろうか、リーダーだった自分はいろんな複雑な気持ちを抱えたまま、祈るように川沿いの道を辿ったのだった。だが、河原の幅は濁流でだんだん狭くなり、満足に歩けない場所も増え、行く手は暗雲垂れこめる状況でした。
 その時だった。地図には全くなかったが、川を横断するように大きな木が倒れていたのだった。橋といえるようなものではなかった。単なる丸木と言っていい。まさに神の福音だった。我々、それぞれの体をザイルで結び、注意深く川を渡った。落ちたら流されてしまったかもしれない。必死だった。命からがらテントに帰った時は、思わず顔を見合せて笑ってしまった。合宿が終わったかのような高揚感だった。
 先般、局地豪雨による急な濁流で亡くなってしまった人々がいるが、自分はこの昔の山行での失敗を思い出してしまう。結果的に奇跡のようなラッキーで難を逃れた我々一行7人は、その後も縦走を続け、槍・穂高縦走も無事終えて、上高地に降り立ったのだった。たまたま川に大木が倒れていただけで、一歩間違えれば大事故に繋がっていたかもしれない。明らかにリーダーの判断ミスであった。
 今日の大雨から、自分のトラウマになっていた昔の失敗を思い出してしまいました。だけど、年月が経った今だからこそ、昔の過ちを振りかえり、懺悔の気持ちでこうして公に書くことが出来たのだと思います。
写真は大学WV部同期のO君が、今夏北アを単独行してきた時のものです。山岳写真家としても才能を持つO君は素晴らしい写真をたくさん撮っており、御好意で使わせて貰えることになりました。これはまさに黒部源流で撮ったとのことです。涼しさが伝わりますでしょうか。